妹は今度は幾等か余裕があると見えて、ちよと淋しい笑声をした。
「ちよとね、」
「それはいけませんね、」
「ちよと岡崎先生へ行てまゐります、どうぞゆつくり、」
 妹は出て行きかけた。
「そいつは、いかんな、」
 先生はその場合冗談も云へないと云ふやうな顔をして、独言とも女に云ふとも判らないことを云つた。
「すぐ帰ります、」
 妹はそのまゝ出て行つた。
「お婆さん、何所で切つたんです、ねえさんは、」
 先生は振返つて老婆の顔を見た。
「彼の寄宿舎の坂ですよ、彼所はいけない所ですからね、」
 老婆は何か深い意味でもあるやうに云つた。
「どんな所です、」
「どんなつて、彼所は、昔からいろんなことを云ひますよ、」
「いろんなつて、どんなことです、」
「彼所は、遠藤さんね、彼の大きな構への、彼所の屋敷内でしたよ、路が出来たのは、私が子供の時でしたから、五十年位のもんですか、彼所は遠藤の旦那が、自分の云ふことを聞かないと云つて、女中を手打ちにした所だと云つて、遠藤の家内が死んだとか、馬が倒れたとか、いろんなことを云ふんですよ、娘などに云ふと、おつかながるから、黙つてるんですが、へんな所ですよ、」

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