「私がまいります」
 焦生はその男を伴れて宿へ帰り、十万銭の金を渡して、興行師といっしょに再び虎の処へ引返した。
「それでは、この虎を放してくれ」
「ここへ放すと、またどんなことになるかも判りません、あんたに売ったから、あんたが山の中へ伴れてって放してください」
 虎は柵の隅の方に寝ていた。焦生は柵の中へ入って往って鎖を持って引っ張った。虎は飼い犬のようにのっそりと体を起した。
 焦生はその虎を伴れて山の方へ往った。そして、渓川の縁に沿うて暫く登って往って鎖を解いた。と、烈しい風が起って木の枝が鳴り、小石が飛んだ。焦生は驚いて風に吹き倒されまいとした。虎はその隙に何処かへ往ってしまった。

 焦生はその秋試験に出かけて往った。彼は馬に乗り、一人の僕《げなん》をつれていた。道は燕趙の間の山間《さんかん》にかかっていたが、ある日、宿を取りそこねて、往っているうちに岩の聳え立った谷の間へ入ってしまった。もう真黒に暮れていて、あわただしそうに雲のとんでいた空からのぞいている二つ三つの星が、傍の岩角をぽっかりと見せているばかりで、すこしの明りもないので、前へも後へも往けなくなった。
 焦生と僕
前へ 次へ
全13ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング