虎媛
田中貢太郎
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)明《みん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]《べん》
−−
明《みん》の末の話である。中州《ちゅうしゅう》に焦鼎《しょうてい》という書生があって、友達といっしょに※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]《べん》の上流《かわかみ》へ往ったが、そのうちに清明《せいめい》の季節となった。その日は家々へ墓参をする日であるから、若い男達はその日を待ちかねていて、外へ出る若い女達を見て歩いた。焦生も友達といっしょに外へ出る若い女を見ながら歩いていたが、人家はずれの広場に人だかりがしているので、何事だろうと思って往ってみると、一匹の虎を伴《つ》れた興行師がいて、柵の中で芸をさしていた。
それは斑紋《はんもん》のあざやかなたくましい虎であったが、隻方《かたほう》の眼が小さく眇《すがめ》になっていた。年老《としと》った興行師の一人は、禿《は》げた頭を虎の口元へ持って往って、甜《なめ》らしたり、鬚《ひげ》をひっ張ってみたり、虎の体の下へもぐって往って、前肢《まえあし》の間から首を出してみたり、そうかと思うと、背の上に飛び乗って、首につけてある鎖を手綱がわりに持って馬を走らすように柵の中を走らした。その自由自在な、犬の子をあつかうような興行師のはなれわざを見て、見物人は感激の声を立てながら銭を投げた。
曇り日の陰鬱な日であった。焦生も友達と肩を並べてそれを見ていたが、見ているうちに大きな雨が降ってきた。見物人は雨に驚いて逃げだした。興行師は傍に置いてあった大きな木の箱を持ってきて虎をその中へ追い込んでしまった。
焦生と友達は雨にびしょ濡れになって宿へ帰った。二人はその晩いつものように酒を飲みながらいろいろの話をはじめた。虎の話が出ると酒に眼元を染めていた焦生が慨然として言った。
「あんな猛獣でも、ああなっては仕方がないな、英雄豪傑も運命はあんなものさ」
これを聞くと友達が笑いながら言った。
「そんな同情があるなら、買い取って逃がしてやったらどうだ」
「無論売ってくれるなら、買って逃がしてやるよ」
酒の後で二人は榻《ねだい》を並べて寝
次へ
全7ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング