の次の庖厨《かって》の室から睡そうな声が聞えた。
「姨さん、気の毒だが、ちょと起きてくださいよ」
 がたがたと音をさして茶の間と庖厨の境の障子を開けて小肥満《こぶとり》のした老婆が顔を出した。
「何か御用でございますか」
「へんなことがあったからね」
 老婆はお滝の傍へ来た。
「どんなことでございます」
「どんなって、寝てて、なんだかへんだから、起きてみると、人が寝ているじゃないかね、突き出そうとすると、跳び起きて往っちゃったが、何処も開けたようでないのに、いなくなったよ」
「そりゃ、このあたりの野良でございますよ、旦那がお留守になったものだから……、巫山戯《ふざけ》た奴ですよ、何処かそのあたりに隠れておりますよ、酷い目に逢わしてやりましょう、癖になりますからね」
 老婆が前《さき》に立って室《へや》の中を彼方此方と見てまわったが、それらしい者の影もなかった。そして、最後に戸締を調べてみたが、これまた宵のままですこしも変ったことはなかった。
「不思議だね、たしかに壮《わか》い男がいて、起きて逃げる拍子に笑ったのだが」
「おかしゅうございますね」
 お滝はうす鬼魅が悪いので、老婆の寝床を
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