五杯も飯を掻き込んだかと思うと、直ぐまた引っくりかえって寝た。新一はそれを奥の襖の間から覗いていた。
 夜になって老婆と新一は奥の室《へや》へ寝床を並べてお滝を警戒していた。そして、十時|比《ごろ》になって老婆が睡りかけたところで、表座敷でお滝が艶かしい忍び笑いをするような声をさした。新一はまた怪しい奴が来たと思ったので、いきなり跳び起きて襖を開けて跳び込んで往った。
 有明の行灯の灯《ひ》に照らされた、怒った眼で此方を見ている母の顔があるばかりで、べつに怪しいものの姿はなかった。
「この痴《ばか》、何しに来たのだ、邪魔すると承知しないぞ」
「お母《っか》さんの笑い声が聞えたから、また彼奴《あいつ》が来たと思って起きたのです」
「彼奴とはなんだ、ばか、余計なことをすると承知しないぞ」
「でもお母さんが笑ったから」
「煩い」
 新一はすごすごと己《じぶん》の寝床へ帰った。
「坊ちゃん、どうかしたのですか」
 眼を覚した老婆が声をかけた。
「お母《っか》さんの笑い声がしたがら、往ってみたが、何にも見えなかったよ」
「そうですか、笑い声なんかするのは、おかしいのですね」
「おかしいよ、何が来
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