新一はびっくりしてその周囲《まわり》を見廻したがもう影も形も見えなかった。彼はふと怪しい獣のことを考えだした。
新一は起って二人の坐っていた処へ往って蹲んでみた。其処には魚の骨のようなものが散らばっていた。
新一はその魚の骨のようなものをじっと見詰めていたが何か思いついたのかそのまま卵塔場を出て、何くわぬ顔をして己《じぶん》の家へ帰って往った。
家では父親の新三郎が新一の帰るのを待っていた。新三郎は新一を伴れて奥の室《へや》へ往って、老婆の敷いてある寝床の中へ入った。その夜遅くなって新三郎が何かの拍子に眼を覚してみると、お滝の室でお滝が甘ったれたような声をして笑っているのが聞えた。新三郎は老婆から聞いているのでいきなり起きて、隔ての襖を開けて表座敷へ入って往った。其処にはお滝の寝床があるばかりでお滝の姿は見えなかった。新三郎は行灯を持って縁側の障子を開けた。半裸体になったお滝が縁側に肘枕をして横に寝ていた。
「おい、お滝、どうしたのだ、そんな処へ寝ちゃ風邪を引くぜ」
お滝の大きな声が其処から聞えて来た。
「風邪を引こうと引くまいと、余計なお世話だ、彼方へ往ってすっこんでろ、何しに此処へ来るのだ、痴《ばか》」
新三郎は怪しい病気が起ったと思ったので対手にならなかった。
「邪魔すると承知しないぞ、痴、ひょっとこ、彼方へ往きあがれ」
「俺も往くから、お前も此方へ入って、寝るが好いだろう、お前は体が悪い、しっかりせんといかんよ」
「煩い」
「煩くっても、そんな処へ寝ていちゃいけない、入んな」
「お前さんのような奴が、其処にいちゃ入れないよ、痴」
「じゃ、俺は彼方《あっち》へ往くから、入んな」
「煩いよ、余計なことを云うない」
お滝は跳び起きるように起きて新三郎に突っかかって来ようとした。新三郎が体をかわすとお滝はそのまま寝床の上へ往って俯向きになり、大声を出して泣きだした。
「苦しい、苦しい、なんの恨みがあって、俺をこんなに苦しめるのだ」
新三郎は障子を締めて奥の室へ往こうとした。新一が起きて来て其処に立っていた。
「お父《とっ》さん、また狐が来たのだね」
「そうだろう、狐だろう」
翌日になって新三郎は下谷の御嶽行者の処へ往って祈祷を頼んで来た。新三郎はそれで幾等かお滝の病気が好くなるだろうと思っていたが、その一方で新一は油揚げを三枚買い、それに鼠取を入
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