おお、新一か」
新一は嬉しいので父親の傍へ往って坐った。新三郎はもう老婆からお滝の怪しい挙動《ようす》を詳しく聞いていた。
「お前は偉いことをやったそうだな、偉い、偉い」
新三郎は新一の頭を撫でて云った。
「もう好いだろう、それでおっかながって、来ないだろう、また来るようなら、下谷に御嶽様《おんたけさん》の行者があるから祈祷してもらおう」
新一は墓場のことを思いだしたが、父にはじめから知らしては面白くないので、知らさずにおこうと思って口ヘは出さなかった。
「まあ、ちょっと往って、覗いて来よう」
新三郎はそう云って表座敷へ入って往った。お滝は夜着を脚下に放ね退けて仰向けになって眼をつむっていた。
「お滝」
新三郎が声をかけるとお滝はふっと眼を開けて新三郎の顔を見あげたが、そのまま何にも云わずに寝返りして前向きになってしまった。
「まだ体が悪いのか」
お滝は返事をしなかった。
「まだ気もちがなおらないのだな、まあ、そうして、静にしてるが好い」
新三郎はしかたなしに茶の間へ帰って来た。茶の間には老婆と新一が坐っていた。
「未だほんとうじゃないね」
「どうかいたしましたか」
「俺が声をかけると、ちょっと眼を開けて見といて、すぐ彼方向きになって返事もしないのだよ」
「それでもおとなしくなりましたよ、初めのうちは、どうしようかと思いましたよ、ねえ、坊ちゃん」
「そうだよ、狂人のようにあばれてたなあ」
間もなく夕飯が出来ると新三郎は新一と膳を並べて飯を喫《く》った。其処へお滝の処へ膳を持って往った老婆が帰って来た。
「今晩は、何時になく、私がお膳を持って往くと、黙って喫《た》べましたよ」
その晩新三郎と新一は奥の間へ寝て、老婆は茶の間へ寝たが、その晩もお滝は何事もなかった。
朝飯の後で新三郎は表座敷へ往った。その時はちょうどお滝が便所へ往っていて姿が見えなかったので、其処に立って待っていると間もなく帰って来た。
「おい、まだ体が悪いのか」
お滝は眼を見すえたようにして見ていたが、そのまま返事もせずに寝床の上へ横になってしまった。
「やっぱり悪いのか、それとも俺が判らないのか」
「ものを云うのが煩いよ」
「そうか、体が悪いならしかたがない、ゆっくり寝てるが好い、土産を買って来てあるが、なおってからにしよう」
お滝はもう何も云わなかった。
七
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