た箱の中へ手をやって一握りの物種を取りだした。人形はそれを耕地の上へ蒔いた。
青い物の芽が簇々《ぞくぞく》と生えてそれが茎になり葉になった。それは蕎麦《そば》であった。白い花がすぐ開いた。赤い茎がそれと映り合った。やがて花が落ちて黒い実が一面に見えてきた。婆さんは箱の中から小さな鎌を出した。人形はその鎌を持って蕎麦を刈った。刈る一方から実を落した。
七八升の実が婆さんの前に置かれた。婆さんはその実を隅の石臼《いしうす》の処へ持って往ってそれを入れて挽いた。蕎麦は小半時《こはんとき》もかかると粉になってしまった。婆さんはその粉を篩《ふるい》にかけて粕《かす》を除《と》り、それがすむと人形をはじめ農具を箱の中へ入れてしまった。
もう耕されていた畑ももとのとおりになっていた。婆さんは白い粉を水で煉ってそれを餅に円めた。八個ばかりの餅が出来た。季和はその餅はどうするだろうと思って眼を放さなかった。
餅が出来てしまうと婆さんは、その餅を見てにっと笑いながら燈火を持って出て往った。後は真暗になってしまった。季和は寝床の上へ戻りながら奇怪なこともあればあるものだ、全体あの餅をどうするだろうと思って八個の数を浮べた時、自個達旅人もちょうど八人だということを考えだした。では旅人に出すためだろうか、何のためにあんなことをして造《こしら》えた餅を喫《く》わするだろう、これには何か理由がなくてはならない。季和は恐ろしい気がした。
いつの間にか夜があけた。客は皆起きて出発の準備《したく》をしはじめた。ちょっとの間うとうととしていた季和は、その物音に気が注《つ》いて起きた。
婆さんが入ってきた。婆さんは人の好い顔をしていた。
「皆さん、お準備ができましたら、温かい餅ができておりますから、おあがりなさい」
旅人は皆手荷物を持って入口の方へ出て往った。季和は餅というのは気味の悪いあの餅ではないかと思った。あの餅なら決して口にしてはならないと思いながら皆に随《つ》いて往った。
八個の大きな餅が卓の上に置いてあった。それはかの気味の悪い餅であった。
「せっかくでございますが、私は夜明|比《ごろ》から、腹が痛くて何もたべたくありませんから」
季和は幾らかの金を出して婆さんの手に載せ、そのまま外へ出てしまった。出てしまったもののその餅をたべた旅人が、どんなになるだろうかという好奇心があ
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