此方に眼をやった。
 そのうちに一行の一人が汀《みぎわ》の水草に流れかかっている櫛を見つけた。
「櫛がある、櫛がある」
 人びとはその男の指さす方に眼をやった。其処には水に落ちたばかりの黄楊《つげ》の櫛があった。
「なるほど櫛じゃ」
「何人《たれ》か見覚えはないか」
 すると壮《わか》い男の声が云った。
「それはたしかに、お種さんの挿しておった櫛じゃ」
 それは彼の猪作であった。
「猪作が云やまちがいない、遊びに往きよったから」
 暫時の間|何人《たれ》も口を開ける者がなかった。一行の眼は青澄んだ池の面に走った。
「どうしても他じゃない」
「どうしてあげる」
「鉤のようなものを入れるか」
「はやけりゃ助かるかも判らん」
「何人《たれ》か胆力《ひい》の強い者はないか、入ってもらいたいが」
 人びとは頭をあつめて評議をした。
「あしが入ってみよう」
 それは猪作であった。
「そうか入ってくれるか」
「そりゃいい」
 猪作は衣《きもの》を脱ぎ、脚袢を除って池の中へ入り、二足三足往ったが水はすぐ股近くになった。猪作はちょっとそこで立ちどまって空気を吸うてから、もんどりを打つようにして潜《くぐ》
前へ 次へ
全13ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング