んぞ、急ぐな急ぐな」
「居《お》るぞう、居るぞう」
「怕《こわ》いぞ、怕いぞ」
権兵衛の伴れている下僚《したやく》は武市総之丞《たけちそうのじょう》と云う男であった。総之丞は簣の一群《ひとむれ》をやりすごしておいて、意《いみ》ありそうに権兵衛を見た。
「お聞きになりましたか」
「何じゃ」
「今、人足が云った事でございますが」
「何と云った」
「居るとか怖いとか、口ぐちに云っておりましたが」
「あれか、あれは何じゃ」
「あれは、彼《あ》の釜礁《かまばえ》の事でございます」
釜礁は港の口に当る処に横たわった大きな礁で、それを砕きさえすれば工事も落著するのであった。
「釜礁がどうしたのか」
「此の二三日、彼の釜礁は、竜王が大事にしておるから、とても破《わ》れない、また破っておいても、翌日になると、元のとおりになっておるとか、いろいろの事を云っております」
「そうか、そんな事を云っておるか」
これも陽の光と潮風に焦げて渋紙色になった総之丞の顔には嘲笑《あざわらい》が浮んだ。
「しかし、今の世の中に、神じゃの、仏じゃの、そんな事が在ってたまりますものか、阿呆らしい」
権兵衛は足を停めた。
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