海岸へ強いて開設する港のことであるから、思うように工事がはかどらなかった。
権兵衛は東側の堰堤を伝って突端の方へ往こうとしていた。その時五十二になる権兵衛の面長なきりっとした顔は、南の国の強い陽の光と潮風のために渋紙色に焦げて、胡麻塩《ごましお》になった髪も擦《す》り切れて寡《すくな》くなり、打裂《ぶっさき》羽織に義経袴《よしつねばかま》、それで大小をさしていなかったら、土地の漁師と見さかいのつかないような容貌《ようぼう》になっていた。
それは延宝七年の春の二時《やつ》すぎであった。前は一望さえぎる物もない藍碧《らんぺき》の海で、其の海の彼方《かなた》から寄せて来る波は、※[#「革+堂」、第3水準1−93−80]《ど》どんと大きな音をして堰堤に衝突とともに、雪のような飛沫をあげていた。其処は左に室戸岬、右に行当岬《ぎょうどうざき》の丘陵が突き出て一つの曲浦《きょくほ》をなしていた。堰堤の内の半ば乾あがった赤濁った潮の中には、数百の人夫が散らばって、沙を掘り礁《はえ》を砕いていたが、其のじゃりじゃりと云う沙を掘る音と、どっかんどかんと云う石を砕く音は、波の音とともに神経を掻きまぜた。
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