、其の周囲《まわり》には一木家の定紋《じょうもん》の附いた紫の幔幕《まんまく》を張りめぐらしてあった。
「どうか私の此の体を犠牲《いけにえ》に御取りくださいまして、釜礁《かまばえ》を除くお赦《ゆるし》を得とうございます」
 下僚《したやく》たちは権兵衛が云いつけてあるので何人《たれ》も傍に来ている者がなかった。
「此の礁が一日も早く除《と》れまして、此の荒海を往来する諸人《もろびと》をお助けくださいますようにお願いいたします。こうして犠牲《いけにえ》に献《あが》りました私の生命《いのち》は、速刻お召しくださいましても厭《いと》うところでございません」
 権兵衛は一人で朝まで祈願をこめていた。朝になって室戸岬の沖あいから朝陽が杲杲《きらきら》と登りかけたところで、人夫たちが集まって来た。
 人夫たちは左右の堰堤を伝って己《じぶん》の持場につこうとしていた。礁の方にかかっている五六十人ばかりの人夫は其処からおりるべく祭壇の近くへ来た。それと見て権兵衛は幔幕の一方を解いて姿をあらわした。人夫たちは甲冑の武者を見て驚きの眼をそばだてた。
「あ」
「何事じゃ」
「何人《たれ》じゃ」
「彼《あ》の 
前へ 
次へ 
全31ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング