衛は一枚の半紙を取って筆を走らせ、それを封筒に容れて表に津寺方丈《つでらほうじょう》御房《ごぼう》と書き、そして、それを硯《すずり》の下へ敷いた。
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口上書を以て残候事《のこしそうろうこと》
港八九は成就《じょうじゅ》に至《いたり》候得共《そうらえども》前度《せんど》殊《こと》の外《ほか》入口|六ヶ敷候《むずかしくそうろう》に付|増夫《ましぶ》入而《いれて》相支候得共《あいささえそうらえども》至而《いたって》難題至極と申《もうし》此上は武士之道之心得にも御座|候得《そうらえ》ば神明へ捧命《ほうめい》申処《もうすところ》の誓言《せいげん》則《すなわち》御見分の通《とおり》|遂[#二]本意[#一]《ほんいとげ》候事《そうろうこと》一日千秋の大悦《たいえつ》拙者《せっしゃ》本懐《ほんかい》之|至《いた》り死後御推察|可[#レ]被[#レ]下《くださるべく》候《そうろう》 不具《ふぐ》
十六日
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[#地から4字上げ]一木権兵衛政利 花押《かおう》
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津寺方丈 御房
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其の夜は月があったが黒い雲が海の上に垂れさがっていたので暗かった。八時《いつつ》すぎになって港の左側の堰堤の上に松明《たいまつ》の火が燃えだした。其処には権兵衛が最初の祈願の時の武者姿で、祭壇を前にして額《ぬか》ずいていた。
「わたくしの体が痺れたは、竜王が犠牲《いけにえ》をお召しになる事と存じますから、喜んで此の身をさしあげます」
権兵衛はまず冑《かぶと》を除《と》って海へ投げた。蒼黒い海は白い歯を見せてそれを呑んだ。権兵衛はそれから鎧《よろい》を解いて投げた。冑も鎧も明珍長門家政の作であった。権兵衛はそれから太刀を投げた。太刀は相州行光の作であった。
翌朝になって下僚《したやく》の者が往ったところで、権兵衛は祭壇の前で割腹していたが、未明に割腹したものと見えて、錦の小袴を染めている血に温《あたたか》みがあった。
村の者はそれと聞いて慟哭《どうこく》した。そして、血に染まった権兵衛の錦の小袴を小さく裂いて、家の守神にすると云って皆《みんな》で別けあうとともに、その遺骸を津寺に葬って香華《こうげ》を絶《たや》さなかった。
それが明治維新になって、神仏の分離のあった時、其の墓石を地中に埋めて、其の上に一|宇《う》の祠《ほこら》を建てて一木神社として祭ったが、昭和四年になって、後《うしろ》の山を開いて社を改築し、墓石も掘り出すとともに、傍《かたわら》に記念碑まで建立《こんりゅう》した。
其の記念碑の表面は、伯爵《はくしゃく》田中光顕《たなかこうけん》先生の筆で、「一木権兵衛君|遺烈碑《いれつひ》」とし、裏面には土佐の碩学《せきがく》寺石正路《てらいしまさはる》先生の選文がある。
底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
1938(昭和13)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
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