もし、あれにこんなことが知れたら、あんな口はばつたい事を云つておきながら、男らしくない未練な奴だと笑はれる、全体、樺太から帰つて一ヶ月にもなるが、仕事の車力も挽かずに、毎日酒を飲んだり、ごろ寝をしたり、のらくらしてゐる、何のためだ、やつぱりあれに未練があるからだらう、俺は男らしくない、あれに笑はれる、もうこんなことは止さなくてはならんぞ、」
 源吉はかう思ひながら暗い足元を見た。赤土と砂利の交つた足元の土がこの時浮きあがるやうな気がした。
「をかしいな、」と、源吉は不審した。そして俺は今晩どうかしてゐるのではないかと思つて片手を額にやつてみた。手は冷くひやひやしてゐた。
「帰らう、なんと思つた所で、自分の所有でない、男らしく帰らう、」と自分で自分に命令するやうにつぶやいた。彼の足には自然と力が這入つた。
 別荘の裏門はもう眼の前にあつた。源吉はちらとそれに眼をやつた。扉が半開きになつてゐて白い顔が見えた。源吉はびつくりして立ち止つた。手の恰好から姿がどうしても彼の女であつた。源吉は吸ひ寄せられるやうにその方へと進んで行つた。女は藍色の着物を着てゐた。
 源吉は扉の際へと行つた。と女の体は内へ這入つた。源吉は小さな声で云つた。
「お高、」
「源ちやん、」
 源吉は扉に触つて音を立てないやうにとそつと中へ這入つた。
 女の姿は直ぐ右傍の小松のやうな木立の下にあつた。赤味のある月の光が其処にあつた。源吉は女の傍へと行つた。
「お高、」
 源吉は懐かしさうに云つてまともにその顔を見た。顔の青い眼の光る赤い一尺ほどの舌をだらりと垂れた奇怪な顔であつた。源吉は眼光がくらむやうになつて逃げ走つた。

          二

 お高は読んでゐた講談本を伏せて横膝を正しながら縁先へ来て立つた少年の顔に親しい笑い顔を見せた。
「ちつとも来ないから、姉さんは心配してたよ、」
 庭の先には花壇があつて、チユウリツプや桜草などが綺麗に咲いて、午後の赤味の強い陽が其処にあつた。
「こんなだと、戸外は暑いだらうね、さあ、おあがりよ、今日は、旦那も御留守だから、遠慮はいらない、おあがりよ、」
 少年は恥かしさうにして冠つてゐた学校帽を脱いて、もぢ/\してゐたがそれでも草履を脱いであがり、室の敷居際へ行つてその敷居に腰をかけて縁側の方へ斜に両足を投げ出した。
「母さんから、何かことづけはなかつた、
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