》の花のようなその花を摘んで頭髪にさした。母親は時どきそれを見つけて叱ったが嬰寧はついに改めなかった。
ある日、西隣の男がこれを見つけて、じっと見とれたが、嬰寧は逃げもせずに男の方を見て笑った。西隣の男は女が自分に気があると思ったので、心がますますとろけた。と、女は牆《かきね》の下に指をさして笑ってからおりていった。西隣の男は女が晩にここへ来いといったと思ったので、大悦びで日の暮れるのを待ちかねて牆の下へいった。いってみると果して女が来ていた。西隣の男はすぐ抱きかかえた。と体の一部が錐《きり》で刺されたように痛さが体にしみわたったので、大声に叫ぶなり※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1−92−37]《たお》れてしまった。その男の女と思ったのは一本の枯木であった。その男の父親は悴《せがれ》の叫び声を聞きつけて走って来て、
「おい、どうした、どうした。」
といったが悴は呻《うめ》くのみで何もいわなかった。そこへ細君が来たので悴は事実を話した。そこで火を点《つ》けて枯木の穴を照らしてみた。そこには小さな蟹《かに》のようなさそりがいた。父親は木を砕いてさそりを殺し、悴をおぶったが、夜半頃になって悴は死んでしまった。
西隣では王を訟《うった》えて、嬰寧が怪しいことをするといった。村役人はかねてから王の才能を尊敬して、篤行の士と言うことを知っていたので、西隣の父親のいうことは誣《し》いごとだといって、杖《むち》で打たそうとした。王は西隣の父親のためにあやまってやったので、西隣の父親は釈《ゆる》してもらって帰って来た。
王の母親は嬰寧にいった。
「馬鹿なことをするから、こんなことになるのだよ。もう笑うことはよして、悲しいことも知るがいいよ。村役人は幸にわかった方だから、よかったものの、これがわからない役人だったら、きっとお前を役所で調べたのだよ。もしこんなことがあったら、あれが親類へ顔向けができますか。」
嬰寧は顔色を正していった。
「もう、これからは、決して笑いません。」
母親はいった。
「人は笑わないものはないから、笑ってもいいが、ただ時と場合を考えなくちゃ。」
嬰寧はこれからはまたと笑わなかった。昔の知人に逢ってもついに笑わなかった。しかし、終日|淋《さび》しそうな顔はしなかった。
ある夜、嬰寧は王といる時に、涙を流した。王は不思議に思って訊《き》いた。
「どうした。」
すると嬰寧はむせび泣きをしていった。
「これまでは日が浅いから、こんなことをいったら、怪しまれるだろうと思って黙っていましたが、今ではお母さんもあなたも、皆さんが私を可愛がってくださって、へだてをしてくださらないからありのままに申しますが、私はもと狐から生まれたものです。母が他へゆくことになって、私を没くなっているお母さんに頼んだものですから、私は十年あまりもお母さんの世話になってて、今日のようなことになりました。私には他に兄弟もありませんし、恃《たの》みにするのはあなたばかりです。今、お母さんは寂しい山かげにいるのですが、だれもお父さんの傍へ葬ってくれないものですから、お母さんはあの世で悲しんでいるのです。あなたがもし、費用をおかまいなさらないなら、あの世の人の悲しみをなくしてやってください。私をお世話してくだされてるから、すてておくこともできないと思って。」
王はうなずいた。
「いいとも、だがどこにあるだろう。」
嬰寧はいった。
「すぐ判《わか》ります。」
日を期して二人は※[#「木+親」、第4水準2−15−75]《ひつぎ》を持って出かけていった。嬰寧はいばらの生い茂った荒れはてた中を指さした。掘ってみると果して老婆の尸《しがい》があった。皮膚も肉体もそのままであった。嬰寧はその尸を撫《な》でて泣いた。
そこで二人はその尸を※[#「木+親」、第4水準2−15−75]に入れて帰り、秦氏の墓を尋ねて合葬した。その夜、王の夢に老婆が来て礼をいって帰った。王は寤《さ》めてそれを嬰寧に話した。嬰寧はいった。
「私は、ゆうべ逢ったのですよ。あなたをびっくりさしてはいけないというものですから。」
王はいった。
「なぜ留《と》めておかなかったのだ。」
嬰寧はいった。
「あの人はあの世の人ですから、生きた人の多い、陽気の勝った所にはいられないのです。」
そこで王は訊いた。
「小栄はどうしたのだろう。」
嬰寧がいった。
「あれは狐ですよ。あれは気が利いてたから、母が私の世話をさしたものです。しょっちゅう木の実を取って来てくれました。だから私は有難いと思ってるのですが、母に訊きますと、もうお嫁にいったのですって。」
その歳から冬至《とうじ》から百五日目にあたる寒食《かんしょく》の日には、夫婦で秦氏の墓へいって掃除するのを欠かさなかった。女は翌年になって一人の子を生んだが、抱かれているうちから知らない人を畏《おそ》れなかった。そして、人さえ見れば笑ってまた大いに母のふうがあった。
底本:「聊斎志異」明徳出版社
1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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