右の手は此方の左の手首に絡つてゐた。
「お前さんは何所だね、」
「私、愛知県よ、」
「では、名古屋かね、」
「名古屋の在ですよ、」
「兄弟があるかね、」
「えゝ、兄が二人と、妹が一人あるんですよ、お百姓よ、」
「お前さん、何処かへお嫁にでも行く約束があるの、」
「そんな所ありませんわ、」
「ないことはなからう、お前さんのやうな好い女を、そのままにはしておかないよ、」
「行く所がなくつても、好い人はあるだらう、」
 北村さんはあつさりと云つたが、此方の手首に絡んでゐた北村さんの手はほてつてゐた。
「私のやうな者は見向いてくれる方もないんですよ、」
「あるよ、あつたらどうする、……あつたら困るだらう、」
「あつたら有難いんですわ、」
「本当、」
 北村さんの眼は此方の眼をまともに見詰めた。……
「をかしいよ、お菊さんはまた考へ込んだよ、あ、あれだよ、お菊さんは……、」
 お幸ちやんの声がするので、お菊さんは夢から覚めたやうにしてその方を見た。お幸ちやんは学生に首づたへ手をやられたなりに、学生と並んで板壁に凭れて笑つてゐた。
「お幸ちやんぢやあるまいし、あたいにや、若旦那は無いんだよ、」

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