りのした丸顔の女と顔を見合はして笑つた。その会社員の言葉が浪花節の若衆の耳に切れ切れに入つた。
「そんなことは大丈夫だ、」
扇はまた続けさまに敲きつけられた。皆の視線は矢張りその扇に集つてゐた。会社員も浪花節の若衆も入口の左側に壁蔀を背にしてゐた。其所は半分から下に樺色をした杉板をそのまま張り、上には白い壁紙を貼つてあつた。その壁紙には料理の名を書いたビラを其所に貼つてあるのが見える。そして会社員の左手は直ぐ奥への入口になつて、二筋の暖簾が垂れてゐた。其所から店の客に出す料理も出ればペンキで塗つた出前用の大きな岡持も出入りするのであつた。
お幸ちやんと云ふ面長な眼の晴れやかな背のすんなりした若い女が、暖簾へ触る髪を気にしいしい出て来た。燗の出来た正宗の二合罎を片手に持つてゐた。
「芳ちやん、旨いねえ、」
浪花節の若衆はちつとそれに眼をつけた。
「なに云つてるんだ、楽燕だぞ、」
店の見付は葭簀を青いペンキで塗つて透壁にし、それに二段の棚をこしらへて酒の罎や花瓶などを並べてあつた。お幸ちやんはその棚と会社員の連の一人との間を擦れ擦れに通つて、その後のテーブルにゐる三人の客の所へ行つ
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