見ると、直ぐこう云って涙を流した。侍はそれが可哀そうでもあれば、好い気もちでもあった。
「なに、こればかりのことが」
侍は次の室へ往ってかさかさとさしはじめた。それは茶を沸かして女に勧めるためであった。と、女は其処へやって来て、
「私がいたしましょう」と云って、無理に竈《へっつい》の前に据わって茶の火を焚いた。
茶が沸くと二人はまた行灯の前に往って坐った。
「こんなことを申しましては相済みませんが、男の一人住みでは、何かにつけて御不自由のようにお見受け申しますが、どうか私を飯焚になりと置いていただくことはできますまいか、先刻《さっき》もお話ししたとおり、私は他に手頼《たよ》る者もございません体でございますから、いずれ奉公なり何なりいたさねばなりませんが、女の独身《ひとりみ》で、彼方此方しておりましては、どんな悪人の手に渡らないとも限りません、それを思いますと、将来《さき》が心細うございます、もし、長いことお世話になることができませんなれば、此処二三日でもお願い申しとうございます」
侍はもう女に対する執着が湧いていた。女を他へやりたくはなかった。
「それでは将来《さき》の見込が附くまで、此処にいたが宜いだろう」
「では私のお願いをお聞きくださいますか、ありがとうございます」
女の顔は晴ばれとして、黒い眼をうっとりとさして男の方を見た。侍の眼もうっとりとしていた。
その夜は朝まで暖かであった。女と枕を並べていた侍は、ふと眼を覚まして見ると、夜が明け放れているので、女を起さないようにそっと一人で起きた。起きる時に見ると、女は蒼白い顔を男の方に向けて、気もちよさそうに眼をつむっていた。
侍は庖厨《かって》の方へ往って、其処から庭におりて手水《ちょうず》をつかい、それが済むとそのあたりの戸を静に静に開けたが、女は疲れているのか起きて来る容子がなかった。侍はにこにこしながら米を洗って竈《へっつい》にかけ、それに火を焚きつけた。それでも女は起きて来なかった。侍は絶えずにこにこしていた。
やがて飯もできたが、それでも女が起きて来ないので、どうかしたのではないかと思って、そっと奥の室へ往ってみた。女は枕から頭を落して真蒼な顔を見せていた。侍はびっくりして枕頭へ寄って往って、唐草模様のついた夜具に手をかけて捲ってみた。女の体は無くて首ばかりが寝ていた。首の切口は血みどろに
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