い唇を見せてにつと笑つた。彼はそのまゝ牡蠣船へと行つた。
円髷の女中と小女とが彼の来るのを待つてゐたやうに出て来た。秀夫はその円髷の後から随いて行くと、艫の向ふからは左になつた室へと通された。彼は琵琶の音はしないかと思つて耳を立てたが琵琶は聞えなかつた。彼は女中に西洋料理とビールを註文して、女中が出て行くと起つて行つて境の襖の間を軋ませて、その際から覗いてみた。其所には乾からびたやうな眼に潤みのある女中が銚子を持つてゐた。
「何を覗いてゐやはります、」
「琵琶が鳴つてゐるやうに思つたから、」
秀夫はさう言ひ言ひ食卓の前に坐つた。
「綺麗な姉さんを覗いてゐやはりましたか、さつきまで弾いてゐやはりましたが、やめました、」
「今、向ふから見ると弾いてゐたやうですが、」
「それはさつきだすやろ、」
「をかしいな、」
秀夫は時間の距たりが不思議であつたが、それは女中の思ひ違ひであらうと思つた。そして綺麗な女がゐなければ別に飲み食ひはしたくないので一時間ばかりで出て来たが、綺麗な女のことが気になるので新京橋の上に行くと又振り返つて見た。艫の右の室には綺麗な女が姿を見せてゐたが琵琶は持つてゐな
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング