て陽がかげってきたので、喬生は驚いて帰りかけたが、遠慮なしに打ちくつろいで飲んだ酒が気もちよく出てきたので、彼は伸び伸びした気になって歩いていた。蛙《かわず》の声が聞えてきた。
 喬生は湖縁の路を取らずに湖の中の堤を帰っていた。堤の柳は芽を吐いて、それが柔かな風に動いていた。彼の体は湖心寺の前へ来ていた。いつの間にか日が暮れて夕月が射していた。
 喬生はふと魏法師の戒めを思いだした。彼は厭な気がしたので、足早に通り過ぎようとした。
「旦那様」
 それは聞き覚えのある女の声であった。喬生は驚いて眼をやった。金蓮が来て前へ立っていた。
「お嬢さんがお待ちかねでございます、どうぞいらしてくださいまし」
 喬生の手首には金蓮の手が絡《からま》ってきた。喬生はその手を振り放して逃げようとしたが逃げられなかった。金蓮は強い力でぐんぐんと引張った。喬生は濁った靄《もや》に脚下《あしもと》を包まれているようで足が自由にならなかった。
「旦那様は、ほんとうに薄情でございますのね」
 喬生は金蓮の手を振り放そうと悶掻《もが》いたが、どうしても放れなかった。
「そんなになさるものじゃございませんわ」
 喬生
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