黄金の枕
田中貢太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)辛道度《しんどうと》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三日三|夜《ばん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「馬+付」、第4水準2−92−84]馬都尉《ふばとい》
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辛道度《しんどうと》は漂泊の旅を続けていた。着物は薄く懐中は無一物で、食物をくれる同情者のない時には水を飲んで餓えを凌ぎ、宿を貸してくれる処がなければ、木の葉を敷いて野宿をした。そうした窮乏の中にあっても、彼は決して気を腐らさなかった。彼の前途には華やかな着物を着た幸福が見えていた。要するに彼は若かった。
雍州城《ようしゅうじょう》の西門から五里ぐらい北の方へ往った。侘しい夕方であった。道度はその日も朝から水以外に何も口にしていないので、物をくれそうな素封家《ものもち》の家を物色して歩いた。畑の中や森陰に当って、民家の屋根がぼつぼつ見えていたが、入って往こうと思うような家はなかった。しかし、そんな目に毎日のように逢っている彼は、別にあわてもしなければ悲観もしなかった。今にどこかいい処が見つかるだろうぐらいの気もちで、平気な顔をしてのそのそと歩いた。
ちいさな野川の土橋を渡って、雑木の黄葉した台地の裾について曲って往くと、庁館《やしき》がまえの大きな建物が見えてきた。
「やっといい処が見つかったぞ」
道度はその門の方へ往った。門口に女中らしい女が立っていた。あたかも彼が往くのを待っていてくれるように。
道度は女の前へ往った。女は人懐かしそうな顔をしていた。
「私は隴西《ろうせい》の書生で辛道度という者ですが、金がなくなって食事に困っております、御主人にお願いして食事をさせていただきたいのですが、お願いしてくれませんか」
「あ、御飯を、では、ちょっと、待っていらっしゃい、願ってあげますから」
女は気軽く言って門の中へ入って往った。道度は石に腰を掛けて待っていた。
間もなくかの女が引返してきた。
「そうした方なら、今晩泊めてあげてもいいとおっしゃいますから、お入りなさい、ここの御主人は御婦人ですよ」
道度は礼を言いながらその後に従《つ》いて家の中へ入った。赤く塗った柱、緑色の壁などが彼にいい気もちを起さした。
「御主人は、こちらにおいでなさいます」
女は扉を開けた。道度はきまりが悪いのでもじもじしながら入った。
室《へや》の真中には、体のほっそりした綺麗に着飾った女が牀《しょうぎ》に腰を掛けていた。室の隅ずみには雲母《きらら》の衝立がぎらぎら光っていた。道度は遠くの方からおじぎをした。
「この方が、今、お願いした、書生さんでございます」
女はこう言って主婦に紹介した。
「さあ、どうぞ、この家は私一人でございますから、御遠慮なさることはございません、そこへお掛けくださいまし、すぐ何か造《こしら》えさしますから」
主婦はちょっと腰を浮かして、自個《じぶん》の前の牀へ指をさした。
「は、私は隴西の者で、辛道度と申します、こうして、遊学しておりますが、路用が乏しいものですから、皆様に御厄介になっております、突然あがりまして恐縮します」
道度はまぶしいような顔をして立った。
「そのことは、もう、これから伺っております」
と、言って主婦は女の方をちらと見た。
「さあ、そこへお掛けくださいまし」
道度はやっと主婦の前へ往って腰を掛けた。それを見ると女は出て往った。
「私も一人で、淋しくて困っておるところでございます、御迷惑でも、面白いお話を聞かせて戴きましょう」
道度は息詰るような気がして顔をまっすぐにすることができなかったが、しだいにくつろぎを感じてきた。主婦は白いすき透るような顔へうっすらと頬紅をさしていた。
「そうしてお歩きになっておりますと、ずいぶん面白いこともございましょう」
綺麗な主婦はすこしの隔《へだ》ても置かずに道度の相手になった。柔かな婦人の言葉は若い男の耳に心好い響を伝えた。
「私ほど不幸な者は他にありませんよ」
主婦はこんなことも言って笑顔をした。
そこへ二人の女が食膳を運んできた。主婦は室の東側になった卓の上へそれを置かした。
「何もありませんが、召しあがってくださいまし」
主婦はその方へ指をさした。道度は親類の家の食膳でもあるかのように遠慮せずにそこへ往った。香りのいい酒も添えてあった。
道度は酒を飲み肉を喫《く》った。二人の女が傍にいて給仕をした。女の顔には笑いが漂うていた。道度はもうすっかり寛いで、持ち前の男らしさを見せていた。
道度は主婦と並んで腰を掛けていた。燈火の光が室の中を紅く染め
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