ていた。道度はうっとりとなっていた。
「あなたは、私をどんな者と思います」
道度は主婦の素性《すじょう》などはどうでもよかった。
「私はまだ、あなたが、どういう方であるかというようなことを、考えたことはありません」
「私は秦《しん》の閔王《びんおう》の女《むすめ》でございましたが、この曹《そう》の国に迎えられてきて、二十三年間、独りでおる者でございます」
道度はそうした貴族と同席することを名誉に感じた。
「あなたがお厭でなければ、夫婦になりましょう」
「でも、あなたは、たっとい御身分の方ですから」
主婦の美しい身体は道度に寄り掛かっていた。
主婦と道度は青い帷《とばり》の陰になった榻《ねだい》の上へ並んでいた。
「こうして、あなたと、三日三|夜《ばん》おりましたが、これ以上いっしょにおりますと、災があります、これからどうか帰ってください」
主婦は力ない声で言った。
「お別れするについては、私の誠を現わすためにさしあげたい物がございます」
主婦は榻の後ろの小箱へ手をやって、その中から黄金の枕を出した。
「これをさしあげます、お持ちになってください」
こう言って主婦はまた泣いた。
道度は初めに世話になった女に見送られて門を出た。そして、十足《とあし》ばかり歩いて後ろを振り返った。庁館がまえの家はなくなって、荊棘《いばら》の伸びはびこった古塚があった。道度は驚いてあたふたと駈けだした。暫く走って気が注《つ》いて懐中《ふところ》に手をやった。黄金の枕は依然としてあった。
道度は秦の国へ往った。窮乏の極に達した彼は黄金の枕を売って金を得ようと思った。彼は市場の方へ歩いて往った。市場には数多《たくさん》の人が集まってきて交易をやっていた。道度は金のありそうな人を見かけるとその枕を出して見せた。
「これを買ってくれないか」
貧しい書生の持物としては黄金の枕はそぐわなかった。数人の者に見せても何人《だれ》も買おうと言う者がなかった。
「これを買わないか、安く売ってもいい」
道度はまた往き会った男にその枕を見せた。
牛に曳かせた綺麗な車がむこうの方からきた。車の周囲には男や女の供人が随《つ》いていた。車には秦の王妃が乗っていた。王妃は道度が手にしている黄金の枕に眼を注《つ》けた。
「あの枕を持っている男をここへ呼べ」
家来の一人は道度の傍《かたわら》へきた。
「お妃さまのお召しじゃ、こっちへ来い」
道度は家来に随いて車の傍へ往った。車は止まっていた。
「その枕をこちらへ」
家来は道度の手から枕を取って、それを車の窓際へさし出した。枕は王妃の手に渡った。
「この枕は、どうしてその方が持ってる」
道度は地べたに頭をつけてから、その枕を手に入れた訳を話した。話しているうちに王妃は泣きだした。
「これは確かに、私の女《むすめ》の持っていたものだ、では、女から貰ったのか」
王妃は止めどもなく泣いた。
道度は王妃の車に随いて秦の王宮へ往った。王宮では道度の言葉に疑いをはさんで、人をやって塚を発掘さし、中の柩を開けて調べさした。二十三年を経た女の死骸は、腐りもせずにそのままになっていた。死骸と一緒に入れた物を詮議した。他の物は皆そのままであったが、黄金の枕のみはなかった。
後で死人の身体を検《あらた》めた。それには情交宛若たるものがあった。
秦の王妃は道度の事情を諒解してしまった。
「これこそ真箇《ほんとう》の婿だ、女《むすめ》もまた神だ、沒くなって二十三年も経って、生きた人と交往《こうおう》していた」
そこで王妃は道度を※[#「馬+付」、第4水準2−92−84]馬都尉《ふばとい》にし、金帛《きんはく》車馬《しゃば》を賜うて本国の隴西へ帰らした。
底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
※「沒くなって二十三年も経って」は、底本では「没くなって二十三年も経って」ですが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年9月17日作成
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