王成
蒲松齢
田中貢太郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)王成《おうせい》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|石《せき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)細君[#「細君」は底本では「組君」]は
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 王成《おうせい》は平原《へいげん》の世家《きゅうか》の生れであったが、いたって懶《なま》け者であったから、日に日に零落《れいらく》して家は僅か数間のあばら屋をあますのみとなり、細君と乱麻《らんま》を編んで作った牛衣《ぎゅうい》の中に寝るというようなみすぼらしい生活をしていたが、細君が小言をいうので困っていた。それは夏の燃えるような暑い時であった。その村に周《しゅう》という家の庭園があって、牆《へい》は頽《くず》れ家は破れて、ただ一つの亭《あずまや》のみが残っていたが、涼しいので村の人達がたくさんそこへ泊りにいった。王成もその一人であった。
 ある朝のことであった。寝ていた村の人達は皆帰っていったが、懶け者の王成一人は陽が高く昇るまで寝ていて起き、それでまだぐすぐすしていて帰ろうとすると、草の根もとに金の釵《かんざし》が一つ光っていた。王成が拾って視ると細かな文字を鐫《ほ》ってあった。それは儀賓府造《ぎひんふぞう》という文字であった。王成の祖父は衡府《こうふ》儀賓、すなわち衡王の婿となっていたので、家に残っている品物の中にその印のある物が多かった。そこで王成は釵を持ってためらっていると、一人の老婆が来て、
「もしか、この辺《あたり》に釵は落ちていやしなかったかね。」
 といった。王成は貧乏はしても頑固な正直者であったから、すぐ出して渡した。
「これですか。」
 老婆はひどく喜んだ。「お前さんは正直者だ。感心な男だ、お蔭でたすかったよ。これは幾等《いくら》もしないものだが、先の夫の形見《かたみ》でね。」
 王成は儀賓府造の印のある品物を遺《のこ》した夫という人の素性が知りたかった。
「あなたの夫というのは、どうした方です。」
 と問うた。すると老婆が答えた。
「もとの儀賓の王柬之《おうかんし》だよ。」
 王成は驚いていった。
「それは私のお祖父さんですよ。どうしてあなたに遇ったのでしょう。」
 老婆もまた驚いていった。
「ではお前さんは、王柬之の孫だね。私は狐仙《こせん》だよ。百年前、お前さんのお祖父《じい》さんに可愛がられてたが、お祖父さんが没《な》くなったので、私もとうとう身を隠してしまった。それがここを通って釵をおとして、お前さんの手に入ったというのも、天命じゃないかね。」
 王成も祖父に狐妻のあったということを聞いていたので、老婆の言葉を信用した。
「そうですよ、天命ですよ、では、これから私の家へいってくれませんか。」
 というと老婆はそのまま随《つ》いて来た。王成はそこで細君を呼んであわした。細君の頭髪は蓬のように乱れて、顔色は青いうえに薄黒みを帯びていた。老婆はそれを見て、
「あァあァ、王柬之の子孫がこんなにまで貧乏になったのか。」
 と歎息してふりかえった。そこに敗れた竈《かまど》はあったが、火を焚《た》いた痕《あと》も見えなかった。老婆はいった。
「こんなことで、どうして生きてゆかれる。」
 そこで細君は細かに貧乏の状態を話して泣きじゃくりした。老婆は彼《か》の釵《かんざし》を細君にやって、
「それを質に入れてお米を買うがいい。」
 といいつけて、帰りしたくをして、
「三日したらまた来るよ。」
 といった。王成はそれをおし留《とど》めた。
「どうか家にいてくださいよ。」
 老婆は、
「お前さんは、一人のお神さんとさえくらしていくことができないじゃないかね。私が一緒になって、じっとしていちゃなお困るじゃないかね。」
 といってとうとういってしまった。王成はその後で、細君に老婆が人間でなくて狐仙であるということを話した。細君は顔色を変えて怖《おそ》れた。王成は老婆に義侠心《ぎきょうしん》のあることを説明して、姑《しゅうとめ》として事《つか》えなければならないといったので、細君も承知した。
 三日目になって果して老婆が来た。老婆は数枚の金を出して、粟と麦を一|石《せき》ずつ買わせ、夜は細君と一緒の寝台に寝た。細君[#「細君」は底本では「組君」]は初めは懼《おそ》れたが、老婆が自分を可愛がってくれる心が解ったので、それからは疑い懼れぬようになった。
 翌日になって老婆は王成に話していった。
「お前さんは惰《なま》けてばかりいちゃいけない。小生業《こあきない》でもしたらどうだね、坐ってたべていちゃだめだよ。」
 王成は、
「商売をしようと思っても、もとでがありませんから。」
 といった。すると老婆は、
「お前さんのお祖父さんのおった時は、お
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