金は使いしだいであったが、私は世の中の人でないから、そんな物は入用がないし、べつにもらったことはなかったが、それでも化粧料としてもらったのが積って四十両になって、それがそのまま残っている。貯えて置いても入用がないから、その金で葛布《かたびら》を買って、すぐ都へいくなら、すこしはもうけがあるだろう。」
 といった。王成は老婆の言葉に従って、老婆から金をもらい、その金で五十余端の葛布を買って帰って来た。老婆は、
「これから仕度をして、すぐ出かけるがいい。六日目か七日目には、北京へ往き着くよ。」
 といって、その後で、
「一生懸命にやらなくちゃいけないよ。懶《なま》けちゃいけないよ。それにうんと急いで、ゆるゆるしていちゃだめだよ。一日おくれたらもう後悔してもだめだ。」
 と注意した。王成は承知して品物を嚢《ふくろ》に入れて出発したが、途中で雨に遇って、着物も履物《はきもの》もびしょ濡れになった。王成は平生苦労をしたことがないから弱ってしまった。そこで暫く休むつもりで旅館へ入ったが、雨はますます強くざあざあと降りだして夜になってもやまなかった。簷《のき》を見ると縄のような雨だれがかかっている。仕方《しかた》なしに一泊して朝になってみると雨はやんでいたが、路のぬかりがひどくて、旅人達は脛《すね》まで入って往来していた。王成はそれにも弱って待っていると、午《ひる》になって路がやっと乾いた。そこで出発しようとしていると断《き》れていた雲がまた合って、また大雨になった。王成は仕方なしにまた一晩泊って翌日出発した。そして北京に近くなって人の噂を聞くと、葛布の価《ね》があがったというので、心のうちに喜んで北京へ入って旅館へいった。旅館の主人は王成の荷物を見て、
「しまったなあ。二、三日早かったら、うんともうけるところだったが。」
 といって惜《お》しんだ。それは南方との交通が始まったばかりの時で、葛布が来てもたくさん来なかったうえに、市中の富豪で買う者がたくさんあったので、価が非常にあがって平生と較べて三倍ほどになっていた。それが王成の着く前日になってたくさん着荷があったので、価が急にさがって、後から葛布を持って来た者は皆失望していた。旅館の主人はそのことを王成に話した。王成は失望してふさぎこんでしまった。
 翌日になって葛布の着荷がますます多く、価もますますさがった。王成は利益がないので売らずにぐずぐずしているうちに十日あまり経ったので、葛布の価はますますさがり、一方旅館の滞在費用もかさんで来たので、ますます煩悶《はんもん》した。旅館の主人が見かねて、
「置けば置くほど損をするから、今のうちに売ってしまって、何か他の工夫をしたらいいじゃないかね。」
 といって勧めた。王成もその言葉に従って売ったが、十余両の損をした。そして手ぶらになって翌朝は早く起きて帰ろうと思って、金入《かねいれ》を啓《あ》けて見ると入れてあった金が亡くなっていた。驚いて旅館の主人に告げたが、主人もどうすることもできなかった。同宿していた男が、
「訴えて主人から払わしたらいいだろう。」
 といって勧めた。王成は歎息して、
「これは運命だ。主人の知ったことじゃない。」
 といって従わなかった。主人はそれを聞いて王成を徳として五両の金を贈って帰そうとした。しかし王成は老婆にあわす顔がないので帰ってもいけない。じっとしていられないので外へ出たり室の中にいたりして煩悶していた。ある日外出して鶉《うずら》を闘わして賭《かけ》をしている者を見た。その賭には一賭に数千金をかける者があった。鶉の価を訊《き》いてみると一羽が百文以上であった。王成は忽《たちま》ちその鶉の売買を思いついた。そこで金を計算してみるとどうかこうか出来そうであるから主人に相談した。
「鶉のかいだしをやりたいと思いますが。」
 主人も、
「それはいい、すぐおやりなさい。」
 といって勧《すす》め、そのうえ王成を当分ただで置くといった。王成は喜んで出かけていって、鶉を買えるだけ買って篭《かご》に入れて帰って来た。主人は喜んでいった。
「それはよかった。ではすぐ売るがいいだろう。」
 夜になって大雨になって明け方まで降り続いたが、夜が明けたころには路の上に水が出て河のようになった。そのうえ雨がまだやまなかった。王成は雨の晴れるのを待っていたが、その雨は二、三日も続いて更にやみそうにもなかった。王成は鶉を心配して起《た》っていって篭の中を見た。鶉はたくさん死んでいた。王成は大いに困ったがさてどうにもしようがなかった。翌日になると鶉は大半死んで僅かに二、三羽しか生きていなかった。それを一つの篭へ入れて飼ってあったが、翌日いって窺《のぞ》いた時には、また死んで一羽だけ残っていた。王成はそこでそれを主人に知らして、おぼえず涙を流した
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング