の方を見たりした。
「おかしいなあ、たしかに蔦のような紋のついた古い浴衣を着ていたが……」と、云いながら主翁は障子を閉めて甚六の前へ来たが、ふと甚六の蒼い顔を見つけて、「おかしいなあ」と、云い云い室を出て往った。
 甚六はその後でしかたなしに箸を持ったが、背筋のあたりに悪感がして、口に入れたものは木屑か何かをたべているようで何の味もなかった。彼はそこそこに箸を置いた。そして、急いで帰ろうと思ってふと見ると、何時の間にか日が入って室の中が微暗くなっていた。岩坂から己《じぶん》の家まで二里位であるから、少し夜道をすれば帰れるが、この比《ごろ》のように怪異がありつづけては、途中でどんなことが起るかも判らないと思うと、さすがの甚六も夜道をする気になれないので、其処に一泊することにした。
 甚六はその一夜が恐ろしく長かった。彼は何か怪しいことが起りはしないかと、心配しながら時どき眼を開けて、枕頭の微暗い有明の行灯の灯を見たが、その夜は別に怪しいこともなかった。
 甚六は神様への祈願が次第に利いて来たのだと思った。そして、朝早く岩坂を出て帰りかけたが、坂下と云う小村まで来ると咽喉が乾いて来た。何処
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