郎の弟に嵐《らん》という者があった。事情があって膠《こう》にゆく道で、まわり道をして母方の親類にあたる陸《りく》という者の家へいって泊った。夜になって隣で悲しそうに泣く声が聴えたが、訊くひまもなく出発して、帰りにまた寄ってみるとまた泣声がした。そこで主人の陸生に訊いた。
「この前にも聞いたが、隣で泣声がするが、あれはどうした人だね。」
 すると主人がいった。
「二、三年前、孀《やもめ》の婆《ばあ》さんと女の子が来て借家をしていたが、前月その婆さんが死んじゃったから、女の子は独りぼっちで、親類もないから泣いてるのだよ。」
「何という苗字だろう。」
「古《こ》という苗字だが、近所の者とつきあわないので、家筋は解らないよ。」
 嵐は驚いていった。
「それは僕の嫂《あによめ》だよ。」
 そこで、いって扉を叩いた。と、内にいた人が起って来て扉を隔てていった。
「あなたはどなたです。私の家には男の方に知りあいはないのですが。」
 嵐《らん》が扉の隙《すき》から窺《のぞ》いてみると果して阿繊であった。そこでいった。
「ねえさん、開けてください。私は弟の嵐ですよ。」
 女はそれを聞くとかんぬきを抜いて
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