の気持ちは好く解っております。ただ他の人の口がやかましいので、すてられはしないかと心配するのです。」
三郎は一生懸命になってなだめたので、阿繊もそれからは何もいわなかったが、山はどうしても釈《と》けなかった。彼は善く鼠をとる猫をもらって来て女の容子《ようす》を見た。阿繊は懼《おそ》れはしなかったが面白くない顔をしていた。
ある夜、阿繊は老婆のぐあいが悪いからといって、三郎に暇をもらって看病にいったので、夜明けに三郎がいってみた。老婆の室は空になって老婆も阿繊もいなかった。三郎はひどく駭《おどろ》いて、人を四方に走らして探《さが》さしたが消息が解らなかった。三郎はそれがために心を痛めて寝もしなければ食事もしなかったが、山はじめ両親はかえって幸にして、いろいろと三郎を慰め、後妻をもらわそうとした。三郎はひどくいやがって一年あまり阿繊のたよりを待っていたが、とうとうそのたよりがなかった。三郎は山や両親からせめられるので、しかたなしに多くの金を出して妾を買ったが、阿繊を思う心は衰えなかった。
そのうちにまた数年たった。奚家は日に日に貧しくなって来た。そこで家の者が、皆阿繊を思いだした。三郎の弟に嵐《らん》という者があった。事情があって膠《こう》にゆく道で、まわり道をして母方の親類にあたる陸《りく》という者の家へいって泊った。夜になって隣で悲しそうに泣く声が聴えたが、訊くひまもなく出発して、帰りにまた寄ってみるとまた泣声がした。そこで主人の陸生に訊いた。
「この前にも聞いたが、隣で泣声がするが、あれはどうした人だね。」
すると主人がいった。
「二、三年前、孀《やもめ》の婆《ばあ》さんと女の子が来て借家をしていたが、前月その婆さんが死んじゃったから、女の子は独りぼっちで、親類もないから泣いてるのだよ。」
「何という苗字だろう。」
「古《こ》という苗字だが、近所の者とつきあわないので、家筋は解らないよ。」
嵐は驚いていった。
「それは僕の嫂《あによめ》だよ。」
そこで、いって扉を叩いた。と、内にいた人が起って来て扉を隔てていった。
「あなたはどなたです。私の家には男の方に知りあいはないのですが。」
嵐《らん》が扉の隙《すき》から窺《のぞ》いてみると果して阿繊であった。そこでいった。
「ねえさん、開けてください。私は弟の嵐ですよ。」
女はそれを聞くとかんぬきを抜いて扉を開けた。嵐が入っていくと、阿繊はひとりみの苦しさを訴えた。嵐はいった。
「三郎兄さんは、あなたをひどく思っているのです。夫婦ですもの、仲違い位はありますよ。なぜこんなに遠くまで逃げるのです。」
そこで輿《くるま》をやとって一緒に帰ろうとした。阿繊は悲しそうにいった。
「私は人あつかいをせられないので、とうとう母と隠れたのです。今、返っていったなら、いやな顔をせられるのでしょう。もしまた帰るとなれば、大兄《おおにい》さんと別家するのですね。でなければ私は死んでしまいます。」
嵐はそこで帰って三郎に知らした。三郎は昼夜兼行でいって阿繊に逢った。二人は顔を見合わして泣いた。翌日二人は出発することにして屋主《やぬし》に知らした。屋主の謝監《しゃかん》という男は、阿繊の美しいのを見て、妾にしようと思って、初めから家賃を取らずに置いて、頻りに老婆にほのめかしたが、老婆はことわっていた。その老婆が死んでくれたので、屋主は目的が達せられると思って喜んでいると、三郎が来たので、初めからの家賃を計算して苦しめにかかった。三郎の家はもう豊かでないから、多額になっている家賃のことを聞いて心配した。すると阿繊はいった。
「そんなことは心配ありませんよ。」
といって三郎を伴《つ》れていった。そこに倉があって三十石にあまる粟が儲《たくわ》えてあった。それがあるなら家賃を払ってもまだ剰《あま》りがあった。三郎は喜んだ。そこで屋主の謝に粟をとってくれといった。謝は困らすつもりで、
「こんな物をもらっても仕方がない。金をもらおう。」
といった。繊はためいきしていった。
「それが私の罪障ですから。」
そこで阿繊は謝のことを話した。三郎は怒って訴えようとした。陸氏はそれをとめて、粟を村の者に別け、その金をあつめて謝に払って、車で二人を送り帰した。
三郎は家へ帰って事実を両親に知らし、兄の山と別居した。阿繊は自分の金を出して、たくさんの倉を建てさせた。家の中には僅かばかりの蓄えもないので皆が怪しんでいたが、一年あまりしてみると倉の中は一ぱいになっていた。そこで幾年もたたないうちに大金持ちになった。そして、山は貧乏に苦しんでいた。阿繊は両親を自分の家へ呼んで養い、兄の山にも金や粟をやってたすけたが、それがなれて常のこととなった。三郎は喜んでいった。
「お前は旧悪を思わないという方だよ。」
阿
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