よ、すぐ帰ってくるから。」
そこで二人は林の中へ入っていったが、暫くたってやっと帰って来た。日が暮れて途はもう真暗であった。三人は一緒にその暗い中をいったが、老婆は将来のたよりないことを話して泣いた。山もまた心を動かされた。老婆はいった。
「この土地は人情がよくないから、親のない子や孀《やもめ》では暮していけない。阿繊ももう、あなたの家の婦《よめ》になっておる。ここをすごすとまた日が遅れるから、今晩のうちに一緒に伴れてってもらうといいが。」
そのうちに家へ着いた。老婆は燈《あかり》を点《つ》けて山に食事をさし、それがすんでからいった。
「あんたがもう帰って来る時分だと思って、持っている粟は皆売ったが、それでもまだ二十石あまり残っておる。遠くては持ってゆけないから、ここから四、五里もいくと、村の中の第一ばんめの門に、談二泉《だんじせん》というものがおる、これが私の買い主じゃ。あんたは気の毒だが、あんたの驢《ろば》に一嚢《ひとふくろ》おぶわせていって、門を叩いて、南村の婆が、二、三石の粟を売って、旅費にするのだから、馬を曳《ひ》いて来て持っててくださいといえばいい。」
そこで嚢の粟を山にわたした。山は驢を曳いていって戸を叩《たた》いた。一人の大きな腹をした男が出て来た。山はその男に老婆のいったとおりにいって、持っていった嚢の粟を開けて帰って来た。
山が帰る間もなく二人の男が五|疋《ひき》の騾《らば》を曳いて来た。老婆は山を伴れて粟のある所へいった。それは窖《あなぐら》の中に入れてあった。そこで山がおりて量をはかると、老婆は女に収めさせた。みるみる入れ物に一ぱいになったので、それをわたして運ばした。およそ四かへりして粟はなくなってしまった。やがて買い主は老婆に金をわたした。老婆はその男の一人と二疋の騾[#「騾」は底本では「螺」]を留めておいて、荷物を積んで皆で東の方へ出発した。そして一行が二十里もいったところで夜がやっと明けた。そこで唯《と》ある市へいって、乗る馬をやとい、送って来た男はそこから返した。
山はやがて家へ帰って両親にその事情を話した。両親もひどく喜んだ。そこで別邸を老婆の住居にして、吉日を択《えら》んで三郎と阿繊を結婚さしたが、老婆は阿繊に嫁入り仕度を十分にした。
阿繊は寡言《むくち》で怒るようなこともすくなかった。人と話をしてもただ微笑するばかりであった。昼夜|績《つむ》いだり織《お》ったりして休まなかった。それがために上の者も下の者も皆阿繊を可愛がった。阿繊は三郎に頼んでいった。
「兄さんにおっしゃってください。また西の道を通ることがあっても、私達母子のことを口に出さないようにって。」
三、四年して奚《けい》家はますます富んだ。三郎は学校に入った。
ある日、山は商用で旅行して、古《こ》の家の隣に宿をとった。そして宿の主人と話していて、ふと雨にへだてられて定宿にゆけずに古老人に世話になったことを話した。宿の主人は、
「そりゃお客さん、何かの間違いでしょう。東隣は私の兄の別宅で、三年ほど前に貸してあった者が、時とすると怪しいことがあったので、引移して空屋《あきや》になっておる。どうして爺さんや婆さんがおるものかね。」
それを聞いて山はひどく不思議に思った。しかしまだそれほど深くは信じなかった。主人はまたいった。
「あの家は、せんに十年空いてて、よう入る者がなかったが、ある日、家の後の牆が傾いたもんだから、兄がいってみると、大きな猫のような鼠がはさまれてて、尻尾は牆の内でまだ動いていたので、急いで帰って来て、皆を呼んでいってみると、もういなかったのだ。皆がそれが怪しいことをしてたろうといったのだよ。その後十日あまりして、また入っていってためしたが、ひっそりしてもう何もなかったよ。それからまた一年あまりしてから、やっと人がいるようになったのだよ。」
山はますます不思議に思って、家へ帰って両親にそっと話し、どうも阿繊は人であるまいと思って、三郎のために心配したが、三郎は初めとすこしもかわらずに阿繊を愛した。
暫《しばら》くして家の中の人の心がちぐはぐになって阿繊をうたがいだした。阿繊はかすかにそれを察して、夜、三郎に話した。
「私は、あなたの所へまいりましてから、数年になりますが、まだ一度だって悪いことをしたことがありませんのに、この頃は人並に待遇せられません。どうか私に離縁状をください。そして、あなたは自分で良い奥さんをおもらいなさい。」
そういって阿繊は泣いた。三郎はいった。
「私の気持ちは、お前がよく知ってくれているはずだ。お前が家へ来てくれてから、家は日増に繁昌して来た。皆これはお前が福を持って来てくれたものだといって喜んでいる。だれがお前のことを悪くいうものか。」
阿繊はいった。
「あなた
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