何というのだ。」
 といって訊いた。女はいった。
「私の先祖が斉《せい》にいたものですから、斉を姓としてるのですよ。私の幼な名は阿霞《あか》といいますの。」
 二人は寝室の中へ入った。景はそこで冗談をいったが、女は笑ってこばまなかった。とうとう女は景の許にいることになった。景の書斎へ友人がたくさん来た。女はいつも奥の室に隠れていた。数日して女がいった。
「私、ちょっと帰ってまいります。それにここは人の出入が多くて、私がいては人に迷惑をかけますから、今から夜よるまいります。」
 といった。景は、
「きみの家はどこだね。」
 というと、女はいった。
「あまり遠くないことよ。」
 とうとう朝早く帰っていったが、夜になると果して来た。二人の間の懽愛《かんあい》はきわめて篤《あつ》かった。また数日して女はいった。
「私たち二人の間は佳《い》いのですけど、いってみると馴れあいですからね。私のお父様が官途に就《つ》いて、西域《せいいき》の方へいくことになって、明日お母さんを伴《つ》れて出発するのですから、それまでに好い機《おり》を見て、お父さんとお母さんの許しを受けて、一生お側にいられるようにして来ますわ。」
 景は訊いた。
「じゃ、幾日したら来る。」
 女は、
「十日したらまいります。」
 と約束して帰っていった。景はその後で女をいつまでも書斎におくことができないから、母屋の方へおきたいと思ったが、そうすると細君がひどく嫉妬しそうであるから、それにはいっそ細君を離縁するがいいと思った。とうとう腹を決めて、細君が傍《そば》へ来ると口ぎたなく罵《ののし》った。細君はその辱《はずかし》めに堪えられないで、泣きながら死のうとした。景はいった。
「ここで死なれちゃ、俺がまきぞえに逢うのだ。どうか早く帰ってくれ。」
 とうとう細君をおしだすようにして伴れていこうとした。細君は啼《な》いていった。
「私は、あなたの所へまいりまして十年になります。まだ一度だって悪いことをしたことがないのに、なぜ離縁するのです。」
 景は細君の言葉には耳を傾けないで、細君をおったてた。細君はそこで門を出ていった。景は壁を塗り塵を除けて阿霞の来るのを待っていたが、来もしなければ消息もなかった。
 景の細君が実家へ帰った後、景の友人達は原《もと》のように復縁させようと思って、しばしば景に交渉したが、景がどうしても承
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