ですよ、私もそれにびつくらした拍子に、何が何やら分らなくなつたんですが、その時が夢の覚めた時でせうよ、」
「だから夢と云つてるぢやないか、夢さ、海岸のことが頭にあつたから、そんな夢を見たんだよ、矢張り体のせいだ、来月は行こう、翻訳の方もその時分に出来上るから、一ヶ月位はゆつくり行つて遊んで来よう、其所で仕事をすれば好い、」
夫は飯の後で茶を飲みながら海岸行の話をしてから出て行つた。京子はその後で飯も食はずにちやぶ台に片肱を突いたなりで考へ込んでゐた。
二人の学生が話しながら通つて行つた。その学生の下駄の音が敷いてある通りの真砂にことことと当つた。小川の上には靄がきれぎれに浮んでゐた。京子は板橋を渡つてしまふと彼の家へと行つた。船板の門の扉も玄関の戸も這入つて行く彼の体を支へなかつた。玄関へあがると昨夜の肖像があるだらうかと思つて眼をやつた。肖像は依然として懸つてゐた。
「今晩こそ意地でも、あの赤ん坊を抱いてやらう、」
京子は又昨夜のやうに茶の間へ通り、茶の間から又縁側へと出て夫婦の寝てゐる室へと行つた。細君は巻蒲団に包んだ赤ん坊を側へ置いて、その方に顔を向けて睡つてゐた。赤ん坊
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