初めてだ、何処か東京へでも来た時に見たんだらう、」
京子と京子の夫は海岸の旅館の二階に通つてゐた。京子は蒼白い眼をして坐つたなりに俯向いてゐた。
「着物を着換へるが好い、何んでもないよ、お前の夢と、変なこととが暗合したんだ、そんな馬鹿馬鹿しい事があるもんか、」
京子はそれでも動かなかつた。夫は洋服を宿の寝衣に着換へながら、女中の置いて行つた茶を飲んでゐた。
「着物でも着換へると、気が変るよ、お着換へよ、」
京子はそれでも返事をしなかつた。番頭が這入つて来た。番頭の手には名刺があつた。
「この方がちよつとお目にかかりたいと申します、」
夫は手に取つて見た。それは警察の名刺であつた。
「警察か、何の用事だらう、」
夫は斯う云つて考へた。
「近頃は、もう、警察がどなたにでも会ひに来て、煩さくて困るんですよ、此所へ通しませうか、」
「では通して貰はう、」
「本当にお気の毒でございます、」
番頭が腰を上げた。
何か恐ろしい叫び声をしながら京子が立ちあがつた。夫が驚いて腰を浮かした時にはもう彼女は廊下へ出てゐた。そして欄干に片足をかけた。夫は追つて行つて抱き止めた。
「何をする、」
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