は黙つてゐた。
 稍《やや》あつて学生は、決心したやうに首をあげて、『君、誠に済まないが、いくらか僕に金を貸してくれませんか? 郷里へ着いたら、何とかして是非返します、僕は今一円だけ持つてんだけれど、これは郷里へ着くまで成るべく使はないやうにして行かうと思ふんです。さうしないと不安心だからねえ。いくらでも可いんです。屹度返します、僕は君、今日迄三晩共|社《やしろ》に泊つて来たんです。木賃宿に泊つてもいくらか費《かか》るからねえ。』と言つた。
 甲田は、社《やしろ》に泊るといふことに好奇心を動かした。然しそれよりも、金さへ呉れゝば此奴《こいつ》が帰ると思ふと、うれしいやうな気がした。そして職員室に行つてみると、福富はまだ帰らずにゐた。甲田は明日持つて来て返すから金を少し貸して呉れと言つた。女教師は、
『少ししか持つてませんよ。』と言ひ乍ら、橄欖色《オリイブいろ》のレース糸で編んだ金入を帯の間から出して、卓《つくゑ》の上に逆さまにした。一円紙幣が二枚と五十銭銀貨一枚と、外に少し許り細かいのがあつた。福富は、
『呉れてやるんですか?』と問うた。
 甲田はただ『ええ。』と言つた。そして、五十銭
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