ゞ》、『貴方《あんた》』と言つたのが、『君』に變つてゐた。
『さうです。』と答へて、甲田は對手の無遠慮な物言ひを不愉快に思つた。そして、自分がこんな田舍で代用教員などをしてるのを恥づる心が起つた。同樣に、煙草が無くて手の遣り場に困る事に氣が附いた。
『あ、煙草を忘れて來た。』と獨言《ひとりごと》をした。そして立つて職員室に來てみると、福富は、
『誰か來たんですか?』と低聲に訊いた。
『乞食です。』
『乞食がどうしたんです?』
『一寸休まして呉れと言ふんです。』
 福富は腑に落ちない顏をして甲田を見た。此學校では平常《ふだん》乞食などは餘り寄せつけない事にしてあるのである。甲田は、煙草入と煙管を持つて、また小使室に來た。そして今度は此方から訊いた。
『何處から來たんですか?』
『××からです。』と北方四十里許りにある繁華な町の名を答へた。
 そして、俄かに思ひ出したやうに、
『初めて乞食をして歩いてみると、却々《なか/\》辛いものですなア。』と言つた。
 甲田は先刻《さつき》から白い小倉のズボンに目を附けて、若しや窮迫した學生などではあるまいかと疑つて居た。何だか此男と話して見たいやうな
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