の、些《ちつ》と許り草があつて女郎花《をみなへし》の咲いた所に半日寝転んだ。母、生みの母、上衝《のぼせ》で眼を悪くしてる母が、アノ時|甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《どんな》に恋しくなつかしく思はれたらう! 母の額に大きな痍《きず》があつた。然うだ、父親《おやぢ》が酔払つて丼を投げた時、母は左の手で……血だらけになつた母の顔が目の前に……。
 ハツとして目を開《あ》いた野村は、微かな動悸を胸に覚えて、墨磨る手が動かなくなつて居た。母! と云ふ考へが又浮ぶ。母が親《みづか》ら書く平仮名の、然も、二度三度繰返して推諒しなければ解らぬ手紙! 此間《こなひだ》返事をやつた時は、馬鹿に景気の可《い》い様な事を書いた。景気の可い様な事を書いてやつて安心さしたのに、と思つて四辺《あたり》を見た。竹山は筆の軸で軽く机を敲き乍ら、書きさしの原稿を睨んで居る。不図したら今日締切後に宣告するかも知れぬ、と云ふ疑ひが電《いなづま》の様に心を刺した。其顔面には例の痙攣《ひきつけ》が起つてピクピク顫へて居た。
 内心の断間《たえま》なき不安を表はすかの様に、ピクピ
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