所のない男です。種々《いろん》な事をやつて来ました。そして方々歩いて来ました。そして、私はモウ行く所がありません。罷めさせられると其限《それつきり》です。罷めさせられると死にます。死ぬ許りです。餓ゑて死ぬ許りです。貴君方は餓ゑた事がないでせう。嗚呼、私は何処へ行つても大きな眼《まなこ》に睨められます。眠つてる人も私を視て居ます。そして、』と云つて、ギラギラさして居た目を竹山の顔に据ゑたが、『私は、自分の職責《しごと》は忠実《まじめ》にやつてる積りです。毎日出来るだけ忠実《まじめ》にやつてる積りです。毎晩町を歩いて、材料《たね》があるかあるかと、それ許り心懸けて居ります。そして、昨夜も遅くまで、』と急に句を切つて、堅く口を結んだ。
『然う昨夜《ゆうべ》も、』と竹山は呟く様に云つたが、ニヤニヤと妙な笑を見せて、『病院の窓は、怎うでした?』
 野村はタヂタヂと二三歩|後退《あとじさ》つた。噫、病院の窓! 梅野とモ一人の看護婦が、寝衣《ねまき》に着換へて淡紅色《ときいろ》の扱帯《しごき》をしてた所で、足下《あしもと》には燃える様な赤い裏を引覆《ひつくらか》へした、まだ身の温《ぬくも》りのありさ
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