りを出させる。それに又渠は、其国訛りを出すと妙に言葉が穏《おとな》しく聞える様な気がするので、目上の者の前へ出ると殊更「ねす」を沢山使ふ癖があつた。
 程なくして渠は辞して立つたが、竹山は別に見送りに立つでもなかつた。で、自分一人室の中央に立上ると、妙に頭から足まで竹山の鋭い眼に度《はか》られる様な心地がして、畳触りの悪い自分の足袋の、汚なくなつて穴の明いてるのが心恥《うらはづ》かしく思はれた。
 戸外《そと》へ出ると、一寸病院の前で足を緩めたが、真砂町へ来るや否や、早速新しい足袋を買つて、狭い小路の奥の蕎麦屋へ上つた。
 二階の四畳半許りの薄汚い室、座蒲団を持つて入つて来たのが、女中でなくて、印半纏《しるしばんてん》を着た若い男だつたので、渠は聞えぬ程に舌打をしたが、「天麩羅二つ。」と吩附《いひつけ》てやつてドシリと胡坐をかくと、不取敢急がしく足袋を穿き代へて、古いのを床の間の隅ツこの、燈光《あかり》の届かぬ暗い所へ投出した。「敷島」を出して成るべく悠然《ゆつたり》と喫ひ出したが、一分経つても、二分過ぎても、まだお誂へが来ない。と、渠は立つて行つて其古足袋を、壁の下の隅に、大きな鼠穴
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