》しても身を屈《こご》ませ乍ら、大事々々に足をつり出したが、遽かに腹が減つて来て、足の力もたど/\しい。喉からは変な水が湧いて来る。二時間も前から鳩尾《みぞおち》の所に重ねて、懐に入れておいた手で、襯衣の上からズウと下腹まで摩《さす》つて見たが、米一粒入つて居ぬ程凹んで居る。渠はモウ一刻も耐らぬ程食慾を催して来た。それも其筈、今朝九時頃に朝飯を食つてから、夕方に小野山の室で酒を飲んで鯣の焙《あぶ》つたのを舐《しやぶ》つた限《きり》なのだ。
 浅間しい事ではあるが、然しこれは渠にとつて今日に限つた事でなかつた。渠は米町裏のトある寺の前の素人下宿に宿つて居るけれど、モウ二月越《ふたつきごし》下宿料を一文も入れてないので、五分と顔を見てさへ居れば、直ぐそれを云ひ出す宿の主婦《おかみ》の面《つら》が厭で、起きて朝飯を食ふと飛び出した儘、昼飯は無論食はず、社から退けても宿へ帰らずに、夕飯にあり付きさうな家を訪ね廻る。でなければ、例の新聞記者と肩書を入れた名刺を振廻して、断られるまでは蕎麦屋牛鍋屋の借食《かりぐひ》をする。それも近頃では殆んど八方塞がりになつたので、少しの機会も逸《のが》さずに金を
前へ 次へ
全80ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング