で、蝶吉と小駒の二人が、「小母《おば》さん」と呼ぶ此女を雇つて萬事の世話を頼んで居る。日暮から十二時過までは、何日でも此陰氣な小母さんが一人此炬燵にあたつてるので、野村は時として此小母さんを何とか仕ようと思ふ事がないでもない。女は窓掛に手をかけた儘、入れとも云はず窓外《そと》を覗いてるので、渠は構はず入つて見ようとも思つたが、何分にも先程から氣が悠然《ゆつたり》と寛大になつてるので、遂ぞ起した事のない「可哀さうだ。」といふ氣がした。
『又來るよ。』と云ひ捨てた儘、彼は窓際を離れて、「主婦《おかみ》はモウ大丈夫寢たナ。」と思ひ乍ら家路へ歩き出した。
 四角《よつかど》を通越して浦見町が、米町になる。二町許り行くと、右は高くなつた西寺と呼ぶ眞宗の寺、それに向合つた六軒長屋の取突《とつつき》の端が渠の宿である。案の如く入口も窓も眞暗になつて居る。渠は成るべく音のしない樣に、入口の硝子戸を開《あ》けて、閉《た》てて、下駄を脱いで、上框の障子をも開けて閉てた。此室《こゝ》は長火鉢の置いてある六疊間。亭主は田舍の村役場の助役をして居るので、主婦と其甥に當る十六の少年と、三人の女兒とが、此室《こゝ》
前へ 次へ
全78ページ中56ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング