醉が全然《すつかり》醒めて了つて、緩《ゆる》んだと云つても零度近い夜風の寒さが、犇々と身に沁みる。頤を埋めた首卷は、夜目にも白い呼氣を吸つて、雪の降つた樣に凍つて居た。雲一つない鋼鐵色の空には、鎗の穗先よりも鋭い星が無數に燦いて、降つて來る光が、凍り果てた雪路の處々を、鏡の缺片《かけら》を散らした樣に照して居た。
 三度目か四度目に市廳坂を下りる時、渠は辷るまいと大事を取つて運んで居た足を不圖留めて、廣々とした港内の夜色を見渡した。冷い風が喉から胸に吹き込んで、紛糾した頭腦の熱さまでスウと消える樣な心地がする。星明りに薄《うつす》りと浮んだ阿寒山の雪が、塵も動かぬ冬の夜の空を北に限つて、川向の一區域に燈火を群がらせた停車場から、鋭い汽笛が反響も返さず暗を劈《つんざ》いた。港の中には汽船が二艘、四つ五つの火影がキラリ/\と水に散る。何處ともない波の音が、絶間もない單調の波動を傳へて、働きの鈍り出した渠の頭に聞えて來た。
 と、渠は烈しい身顫ひをして、又しても身を屈ませ乍ら、大事々々に足をつり出したが、遽かに腹が減つて來て、足の力もたど/\しい。喉から變な水が沸いて來る。二時間も前から鳩尾
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