の變りがなかつた。軈てまた机に就いて、成るべく厭に見える樣に顏を顰蹙《しか》めたり後腦を押へて見たりし乍ら、手帳を繰り始めたが、不圖髭を捻つて居る戸川課長の顏を思出した。課長は今日俺の顏を見るとから笑つて居て、何かの話の序にアノ事――三四日前に共立病院の看護婦に催眠術を施《か》けた事を揶揄《からか》つた。課長は無論唯若い看護婦に施《か》けたと云ふだけで揶揄《からか》つたので、實際又醫者や藥劑師や他の看護婦の居た前で施《か》けたのだから、何も訝《をか》しい事が無い。無いには無いが、若しアノ時アノ暗示を與へたら怎うであつたらう、と思ふと、其梅野といふ看護婦がスッカリ眠つて了つて、横に臥《たふ》れた時、白い職服《きもの》の下から赤いものが喰み出して、其の下から圓く肥つた眞白い脛《はぎ》の出たのが眼に浮んだ。渠は擽《くす》ぐられる樣な氣がして、俯向いた儘變な笑を浮べて居た。
上島は燐寸《マッチ》を擦つて煙草を吹かし出した。と、渠はまたもや喉から手が出る程|喫《の》みたくなつて、『君は何日でも[#「も」は底本では「は」]煙草を持つてるな。』と云ひ乍ら一本取つた。何故今日はアノ娘が居なかつたらう
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