だぜ。』
『出す時黒文字ツて云ふんだね。』
『さうだ。』
『面白いことを云ふね。』
『面白いだらう。』
『何処で那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことを覚えたんだ?』
『役場の書記から聞いた。』
『ハハア、兎も角今夜は飲まうよ。』

     四

『怎《どう》だ、ソロソロ帰るとしよう。』と云ツて、楠野君は傍らに投げ出してあツた風呂敷を引張り寄せた。風呂敷の中から、大きな夏蜜柑が一つ輾《ころ》げ出す。『アまだ一つ残ツて居たツた。』
『僕はまだ帰らないよ。君先きに行ツて呉れ給へ。』
『一緒に行かうや。一人なら路も解るまい。』
『大丈夫だよ。』
『だツて十二時が過ぎて了ツたぢやないか。』
『腹が減ツたら帰ツてゆくよ。』
『さうか。』と云ツたが、楠野君はまだ何となく危む様子。
『大丈夫だといふに。……緩《ゆつ》くり昼寝でもしてゆくから、構はず帰り給へ。』
『そんなら余り遅くならんうちに帰り給へ。今夜は僕の方で誘ひに行くよ。』
 古洋服を着た楠野君の後姿が、先刻《さつき》忠志君の行ツたと同じ浪打際を、段々遠ざかツてゆく。肇さんは起き上ツて
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