もあるもんですからね。』
『ああ然ですか。何れ宜敷御尽力下さい。後藤君が此函館に来たについちや、何にしろ僕等先住者が充分尽すべき義務があるんですからね。』
『……まあ然です。兎に角僕は失敬します。肇さんも昼飯までには帰ツて来て呉れ給へ。ぢや失敬。』
忠志君は急歩《いそぎあし》に砂を踏んで、磯伝ひに右へ辿ツて行く。残ツた二人は黙ツて其後姿を見て居る。忠志君は段々遠くなツて、目を細うくして見ると、焦茶のインバネスが薄鼠の中折を被ツて立ツて居る様に見える。
『あれが僕の従兄なんだよ、君。』と肇さんが謂ふ。
『頭が貧しいんだね。』
忠志君の頭の上には、昔物語にある巨人の城廓の様に、函館山がガツシリした諸肩《もろがた》に灰色の天を支へて、いと厳そかに聳えて居る。山の中腹の、黒々とした松林の下には、春の一刷毛あざやかに、仄紅色《ほのくれなゐ》の霞の帯。梅に桜をこき交ぜて、公園の花は今を盛りなのである。木立の間、花の上、処々に現れた洋風の建築物《たてもの》は、何様異なる趣きを見せて、未だ見ぬ外国《とつくに》の港を偲ばしめる。
不図、忠志君の姿が見えなくなツた。と見ると、今迄忠志君の歩いて居た辺
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