《いや》、殺されるまでだ。……』
『だから僕は生きてるぢやないか。』
『噫。』
『死ぬのは不可《いかん》が、泣くだけなら可《いい》だらう。』
『僕も泣くよ。』
『涙の味は苦いね。』
『※[#「口+云」、第3水準1−14−87]。』
『実に苦いね。』
『※[#「口+云」、第3水準1−14−87]。』
『恋の涙は甘いだらうか。』
『※[#「口+云」、第3水準1−14−87]。』
『世の中にや、味の無い涙もあるよ。屹度あるよ。』

     三

『君の顔を見ると、怎《どう》したもんだか僕あ気が沈む。奇妙なもんだね。敵の真中に居れや元気がよくて、味方と二人ツ限《きり》になると、泣きたくなツたりして。』
 肇さんは恁《かう》云ツて、温和《おとなし》い微笑を浮かべ乍ら、楠野君の顔を覗き込んだ。
『僕も然だよ。日頃はこれでも仲々意気の盛んな方なんだが、昨夜《ゆふべ》君と逢ツてからといふもの、怎したもんか意気地の無い事を謂ひたくなる。』
『一体|何方《どつち》が先に弱い音を吹いたんだい。』
『君でもなかツた様だね。』
『君でもなかツた様だね。』
『何方でも無いのか。』
『何方でも無いんだ。ハハヽヽヽヽ。』と笑つたが、『胸に絃があるんだよ。君にも、僕にも。』
『これだね。』と云ツて、楠野君は礑《はた》と手を拍つ。
『然だ、同《おんな》じ風に吹かれて一緒に鳴り出したんだ。』
 二人は声を合せて元気よく笑ツた。
『兎も角|壮《さか》んにやらうや。』と楠野君は胸を張る。
『※[#「口+云」、第3水準1−14−87]。やるとも。』
『僕は少し考へた事もあるんだ。怎せ君は、まあ此処に腰を据ゑるんだらう。』
『喰ひ詰めるまで置いて貰はう。』
『お母さんを呼ばう。』
『※[#「口+云」、第3水準1−14−87]。呼ばう。』
『呼んだら来るだらう。』
『来てから何を喰はせる。』
『那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》心配は不要《いらん》よ。』
『不要《いらない》こともない。僕の心配は天下にそれ一つだ。今まで八円ぢや仲々喰へなかツたからね。』
『大丈夫だよ。那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]事は。』
『然《さう》かえ。』
『まあ僕に委せるさ。』
『※[#「口+云」、第3水準1−14−87]、委せよう。
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