の刺身をつつき乍ら俗謡の話などが出た。酒は猪口で二つ許り飲まれた様であつた。予は三つ飲んで赤くなる。小国君も下戸。モ一人野口君と同伴して来た某君、(此人は後日まで故人と或る密接な関係のあつた人だ。)病後だとか言つて矢張あまり飲まなかつた。此某君は野口君と総ての点に於て正反対な性格の人であるが、初め二人が室に入つて来た時、予は人違ひをして、「これが野口か。」と腹の中で失望して肩を聳かした事を記憶してゐる。十二時頃に伴立《つれだ》つて帰つたが、予は早速野口君を好《い》い人だと思つて了つた。其後一度同君の宅を訪問した時は、小樽の新聞の主筆になるといふ某氏の事に就いて、或不平があつて非常に憤慨してゐた。「事によつたら断然小樽行を罷めるかも知れぬ。」と言ふ。予は腹の中で「其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》事はない。」と信じ乍ら、これは面白い人だと思つた。予は年が若いから、憤慨したり激語したりする人を好きなのだ。
◎予と札幌との関係は僅か二週間で終を告げた。二十七日に予先づ小樽に入り、三十日に野口君も来て、十月一日は小樽日報[#「小樽日報」に白丸傍点]の第一回編輯会議。此新聞は、企業家としては随分名の知れてゐる山県勇三郎氏が社主、其令弟で小樽にゐる、これも敏腕の聞え高き中村定三郎氏が社主を代表して、社長は時の道会議員なる老巧なる政客白石義郎氏(今年根室郡部から出て代議士となつた。)、編輯は主筆以下八名。初号は十五日に出す事、主筆が当分総編輯をやる事、其他巨細議決して、三面の受持は野口君と予と、モ一人外交専門の西村君と決つた。
◎此会議が済んで、社主の招待で或洋食店に行く途中、時は夕方、名高い小樽の悪路を肩を並べて歩き乍ら、野口君と予とは主筆排斥の隠謀を企てたのだ。編輯の連中が初対面の挨拶をした許りの日、誰が甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《どんな》人やらも知らぬのに、随分乱暴な話で、主筆氏の事も、野口君は以前《まへ》ら知つて居られたが、予に至つては初めて逢つて会議の際に多少議論しただけの事。若し何等かの不満があるとすれば、其主筆の眉が濃くて、予の大嫌ひな毛虫によく似てゐた位のもの。
◎此隠謀は、野口君の北海道時代の唯一の波瀾《やま》であり、且つは予の同君に関する思出の最も重要
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