月二十五日の夜が例の大火、予の仮寓は危いところで類焼の厄を免がれたものの、結果は同じ事で、其為に函館では喰へぬ事になつて、九月十三日に焼跡を見捨てて翌日札幌に着いた。
◎札幌には新聞が三つ。第一は北海タイムス[#「北海タイムス」に白丸傍点]、第二は北門新報[#「北門新報」に白丸傍点]、第三は野口君の居られた北鳴新聞[#「北鳴新聞」に白丸傍点]。発行部数は、タイムス[#「タイムス」に白丸傍点]は一万以上、北門[#「北門」に白丸傍点]は六千、北鳴[#「北鳴」に白丸傍点]は八九百(?)といふ噂であつたが、予は北門[#「北門」に白丸傍点]の校正子として住込んだのだ。当時野口君の新聞は休刊中であつた。(此新聞は其儘休刊が続いて、十二月になつて北海道新聞[#「北海道新聞」に白丸傍点]と改題して出たが、間もなく復《また》休刊。今は出てるか怎《ど》うか知らぬ。)
◎予を北門[#「北門」に白丸傍点]に世話してくれたのは、同社の硬派記者|小国《をぐに》露堂《ろだう》といふ予と同県の人、今は釧路新聞の編輯長をしてゐる。此人が予の入社した五日目に来て、「今度小樽に新らしい新聞が出来る。其方《そつち》へ行く気は無いか。」と言ふ。よし行かうといふ事になつて、色々秘密相談が成立つた。其新聞には野口雨情君も行くのだと小国君が言ふ。「甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《どんな》人だい。」と訊《き》くと、「一二度逢つたが、至極|穏和《おとなし》い丁寧な人だ。」と言ふ。予は然し、実のところ其言を信じなかつた。何故といふ事もないが、予は、新体詩を作る人と聞くと、怎《どう》やら屹度自分の虫の好かぬ人に違ひないといふ様な気がする。但し逢つてみると、大抵の場合予の予想が見ン事はづれる。野口君の際もそれで、同月二十三日の晩、北一条西十丁目幸栄館なる小国君の室で初めて会した時は、生来礼にならはぬ疎狂の予は少なからず狼狽した程であつた。気障《きざ》も厭味《いやみ》もない、言語《ことば》から挙動《ものごし》から、穏和《おとなし》いづくめ、丁寧づくめ、謙遜づくめ。デスと言はずにゴアンスと言つて、其度|些《ちよい》と頭を下げるといつた風《ふう》。風采は余り揚つてゐなかつた。イをエと発音し、ガ行の濁音を鼻にかけて言ふ訛が耳についた。小樽行《をたるゆき》の話が確定して、鮪《まぐろ》
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