な部分であるのだが、何分事が余り新らしく、関係者が皆東京小樽札幌の間に現存してゐるので、遺憾ながら詳しく書く事が出来ない。最初「彼奴《あいつ》何とかしようぢやありませんか。」といふ様な話で起つた此隠謀は、二三日の中に立派(?)な理由が三つも四つも出来た。其理由も書く事が出来ない。兎角して二人の密議が着々進んで、四日目あたりになると、編輯局に多数を制するだけの味方も得た。サテ其目的はといふと、我々二人の外にモ一人硬派の○田君と都合三頭政治で、一種の共和組織を編輯局に布かうといふ、頗る小供染みた考へなのであつたが、自白すると予自身は、それが我々の為、また社の為、好い事か悪い事かも別段考へなかつた。言はば、此隠謀は予の趣味で、意志でやつたのではない。野口君は少し違つてゐた様だ。
◎小樽は、さらでだに人口増加率の莫迦に高い所へ持つて来て、函館災後の所謂「焼出され」が沢山入込んだ際だから、貸家などは皆無といふ有様。これには二人共少なからず困つたもので、野口君は其頃|色内橋《いろないばし》(?)の近所の或運送屋(?)に泊つてゐた。予は函館から予よりも先に来てゐた家族と共に、姉の家《うち》にゐたが、幸ひと花園町に二階二室貸すといふ家が見付つたので、一先《ひとまづ》其処に移つた。此を隠謀の参謀本部として、豚汁をつついては密議を凝らし、夜更けて雨でも降れば、よく二人で同じ蒲団に雑魚寝をしたもの。或夜も然《さ》うして寝てゐて、暁近くまで同君の経歴談を聞いた事があつた。そのうちには男爵事件[#「男爵事件」に傍点]といふ奇抜な話もあつたが、これは他の親友諸君が詳しく御存知の事と思ふから書かぬ。
◎野口君は予より年長でもあり、世故《せこ》にも長《た》けてゐた。例の隠謀でも、予は間《ま》がな隙《すき》がな向不見《むかふみず》の痛快な事許りやりたがる。野口君は何時でもそれを穏かに制した。また、予の現在|有《も》つてゐる新聞編輯に関する多少の知識も、野口君より得た事が土台になつてゐる。これは長く故人に徳としなければならぬ事だ。
◎それかと云つて、野口君は決して
[#地から1字上げ][明治四十一年九月二十一日起稿]



底本:「石川啄木全集第四巻 評論・感想」筑摩書房
   1980(昭和55)年3月10初版第1刷発行
   1882(昭和57)年11月20初版第3刷発行
※底本は、物を数える際や
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