の[#「東京の」に傍点]理髪師と云へば、怎《どう》やら少し意味が別なので、銀座通りの写真でも見た事のある人は、早速源助さんの家の立派な事を想像した。
 翌日《あくるひ》は、各々自分の家に訪ねて来るものと思つて、気早の老人《としより》などは、花茣蓙を押入から出して炉辺に布いて、渋茶を一掴み隣家《となり》から貰つて来た。が、源助さんは其日朝から白井様へ上つて、夕方まで出て来なかつた。
 其晩から、かの立派な鞄から出した、手拭やら半襟やらを持つて、源助さんは殆んど家毎に訪ねて歩いた。
 お定の家へ来たのは、三日目の晩で、昼には野良に出て皆留守だらうと思つたから、態々《わざわざ》後廻しにして夜に訪ねたとの事であつた。そして、二時間許りも麦煎餅を噛りながら、東京の繁華な話を聞かせて行つた。銀座通りの賑ひ、浅草の水族館、日比谷の公園、西郷の銅像、電車、自動車、宮様のお葬式《とむらひ》、話は皆想像もつかぬ事許りなので、聞く人は唯もう目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて、夜も昼もなく渦巻く火炎に包まれた様な、凄じい程な華やかさを漠然と頭脳《あたま》に描いて見るに過ぎなかつたが、浅草の観音様に鳩がゐると聞いた時、お定は其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》所にも鳥なぞがゐるか知らと、異様に感じた。そして、其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]所から此人はまあ、怎《どう》して此処まで来たのだらうと、源助さんの得意気な顔を打瞶《うちまも》つたのだ。それから源助さんは、東京は男にや職業が一寸|見付《みつか》り悪《にく》いけれど、女なら幾何《いくら》でも口がある。女中奉公しても月に賄《まかなひ》付で四円貰へるから、お定さんも一二年行つて見ないかと言つたが、お定は唯|俯《うつむ》いて微笑《ほほゑ》んだのみであつた。怎して私などが東京へ行かれよう、と胸の中で呟やいたのである。そして、今日|隣家《となり》の松太郎と云ふ若者《わかいもの》が、源助さんと一緒に東京に行きたいと言つた事を思出して、男ならばだけれども、と考へてゐた。

     三

 翌日《あくるひ》は、例《いつも》の様に水を汲んで来てから、朝草刈に行かうとしてると、秋の雨がしと/\降り出して来た。廐には未だ二日分許り秣《まぐさ》があつたので、隣家の松太郎の姉に誘はれたけれども、父爺《おやぢ》が行かなくても可いと言つた。仕様事なさに、一日門口へ立つて見たり、中へ入つて見たりしてゐたが、蛇の目傘をさした源助さんの姿が、時々|彼方此方《あちらこちら》に見えた。禿頭の忠太|爺《おぢ》と共に、お定の家の前を通つた事もあつた。其時、お定は何故といふ事もなく家の中へ隠れた。
 一日降つた蕭《しめや》かな雨が、夕方近くなつて霽《あが》つた。と穢《きたな》らしい子供等が家々から出て来て、馬糞交りの泥濘《ぬかるみ》を、素足で捏《こ》ね返して、学校で習つた唱歌やら流行歌《はやりうた》やらを歌ひ乍ら、他愛もなく騒いでゐる。
 お定は呆然《ぼんやり》と門口に立つて、見るともなく其《それ》を見てゐると、大工の家のお八重の小さな妹が駆けて来て、一寸来て呉れといふ姉の伝言《ことづて》を伝へた。
 また曩日《いつか》の様に、今夜何処かに酒宴でもあるのかと考へて、お定は慎しやかに水潦《みづたまり》を避《よ》けながら、大工の家へ行つた。お八重は欣々《いそいそ》と迎へたが、何か四辺《あたり》を憚る様子で、密《そつ》と裏口へ伴れて出た。
『何処さ行《え》げや?』と大工の妻は炉辺から声をかけたが、お八重は後も振向かずに、
『裏さ。』と答へた儘。戸を開けると、鶏が三羽、こツこツといひながら中に入つた。
 二人は、裏畑の中の材木小屋に入つて、積み重ねた角材に凭《もた》れ乍ら、雨に湿つた新しい木の香を嗅いで、小一時間許りも密々《ひそひそ》語つてゐた。
 お八重の話は、お定にとつて少しも思設けぬ事であつた。
『お定さん。お前も聞いたべす、源助さんから昨夜《ゆべな》、東京の話を。』
『聞いたす。』と穏かに言つて、お八重の顔を打瞶《うちまも》つたが、何故か「東京」の語《ことば》一つだけで、胸が遽《には》かに動悸がして来る様な気がした。
 稍《やや》あつて、お八重は、源助さんと一緒に東京に行かぬかと言ひ出した。お定にとつては、無論思設けぬ相談ではあつたが、然し、盆過のがつかりした心に源助を見た娘には、必ずしも全然《まるで》縁のない話でもない。切《しき》りなしに騒ぎ出す胸に、両手を重ねながら、お定は大きい目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]つて、言葉少なにお八重の言ふ所を聞いた。
 お八重は、もう自分一人は確然《ちやん》と決心してる様な口吻《くちぶり》で、声は低いが、眼が若々しくも輝く。親に言へば無論容易に許さるべき事でないから、黙つて行くと言ふ事で、請売《うけうり》の東京の話を長々とした後、怎せ生れたからには恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》田舎に許り居た所で詰らぬから、一度は東京も見ようぢやないか。「若い時ア二度無い」といふ流行唄《はやりうた》の文句まで引いて、熱心にお定の決心を促すのであつた。
 で、其方法も別に面倒な事は無い。立つ前に密《こつそ》り衣服《きもの》などを取纒めて、幸ひ此村《ここ》から盛岡の停車場に行つて駅夫をしてる千太郎といふ人があるから、馬車追の権作|老爺《おやぢ》に頼んで、予じめ其千太郎の宅まで届けて置く。そして、源助さんの立つ前日《まへのひ》に、一晩泊で盛岡に行つて来ると言つて出て行つて、源助さんと盛岡から一緒に乗つて行く。汽車賃は三円五十銭許りなさうだが、自分は郵便局へ十八円許りも貯金してるから、それを引出せば何も心配がない。若し都合が悪いなら、お定の汽車賃も出すと言ふ。然しお定も、二三年前から田の畔《くろ》に植ゑる豆を自分の私得《ほまち》に貰つてるので、それを売つたのやら何やらで、矢張九円近くも貯めてゐた。
 東京に行けば、言ふまでもなく女中奉公をする考へなので、それが奈何《いか》に辛くとも野良稼ぎに比べたら、朝飯前の事ぢやないかとお八重が言つた。日本一の東京を見て、食はして貰つた上に月四円。此村あたりの娘には、これ程|好《うま》い話はない。二人は、白粉やら油やら元結やら、月々の入費を勘定して見たが、それは奈何《いか》に諸式の高い所にしても、月一円とは要らなかつた。毎月三円宛残して年に三十六円、三年辛抱するとすれば百円の余にもなる。帰りに半分だけ衣服や土産を買つて来ても、五十円の正金が持つて帰られる。
『末蔵が家《え》でや、唯《たつた》四十円で家屋敷白井様に取上げられたでねえすか。』とお八重が言つた。
『雖然《だども》なす、お八重さん、源助さん真《ほんと》に伴れてつて呉《け》えべすか?』とお定は心配相に訊く。
『伴れて行くともす。今朝誰も居ねえ時聞いて見たば、伴れてつても可《え》えつて居《え》たもの。』
『雖然《だども》、あの人《しと》だつて、お前達《めえだち》の親達《おやだち》さ、申訳なくなるべす。』
『それでなす、先方《あつち》ア着いてから、一緒に行つた様でなく、後から追駆けて来たで、当分東京さ置ぐからつて手紙寄越す筈にしたものす。』
『あの人《しと》だばさ。真《ほんと》に世話して呉《け》える人《しと》にや人《しと》だども。』
 此時、懐手してぶらりと裏口から出て来た源助の姿が、小屋の入口から見えたので、お八重は手招ぎしてそれを呼び入れた。源助はニタリ/\相好を崩して笑ひ乍ら、入口に立ち塞《はだか》つたが、
『まだ、日が暮れねえのに情夫《をとこ》の話ぢや、天井の鼠が笑ひますぜ。』
 お八重は手を挙げて其高声を制した。『あの、源助さん、今朝の話ア真実《ほんと》でごあんすよ。』源助は一寸真面目な顔をしたが、また直ぐに笑ひを含んで、『※[#「口+云」、第3水準1−14−87]《うん》、好《よ》し/\、此|老爺《おぢい》さんが引受けたら間違ツこはねえが、何だな、お定さんも謀叛の一味に加はつたな?』
『謀叛だど、まあ!』とお定は目を大きくした。
『だがねえお八重さん、お定さんもだ、まあ熟《よつ》く考へて見る事《こつ》たね。俺は奈何《どう》でも構はねえが、彼方へ行つてから後悔でもする様ぢや、貴女方《あんたがた》自分の事《こつ》たからね。汽車の中で乳飲みたくなつたと言つて、泣出されでもしちや、大変な事になるから喃《なあ》。』
『誰ア其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》に……。』とお八重は肩を聳かした。
『まあさ。然う直ぐ怒《おこ》らねえでも可いさ。』と源助はまたしても笑つて、『一度東京へ行きや、もう恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》所にや一生帰つて来る気になりませんぜ。』
 お八重は「帰つて来なくつても可い。」と思つた。お定は、「帰つて来られぬ事があるものか。」と思つた。
 程なく四辺《あたり》がもう薄暗くなつて行くのに気が付いて、二人は其処を出た。此時まではお定は、まだ行くとも行かぬとも言はなかつたが、兎も角も明日|決然《しつかり》した返事をすると言つて置いて、も一人お末といふ娘にも勧めようかと言ふお八重の言葉には、お末の家が寡人《ひとすくな》だから勧めぬ方が可いと言ひ、此話は二人|限《きり》の事にすると堅く約束して別れた。そして、表道を歩くのが怎《どう》やら気が咎める様で、裏路伝ひに家へ帰つた。明日返事するとは言つたものの、お定はもう心の底では確然《ちやん》と行く事に決つてゐたので。
 家に帰ると、母は勝手に手ランプを点《つ》けて、夕餉の準備に急《せ》はしく立働いてゐた。お定は馬に乾秣《やた》を刻《き》つて塩水に掻廻して与《や》つて、一担ぎ水を汲んで来てから夕餉の膳に坐つたが、無暗に気がそは/\してゐて、麦八分の飯を二膳とは喰べなかつた。
 お定の家は、村でも兎に角食ふに困らぬ程の農家で、借財と云つては一文もなく、多くはないが田も畑も自分の所有《もの》、馬も青と栗毛と二頭飼つてゐた。両親はまだ四十前の働者《はたらきもの》、母は真《ほん》の好人物《おひとよし》で、吾児にさへも強い語《ことば》一つ掛けぬといふ性《たち》、父は又父で、村には珍らしく酒も左程|嗜《たしな》まず、定次郎の実直といへば白井様でも大事の用には特に選《え》り上げて使ふ位で、力自慢に若者《わかいもの》を怒らせるだけが悪い癖だと、老人達《としよりだち》が言つてゐた。祖父《ぢい》も祖母《ばあ》も四五年前に死んで、お定を頭に男児二人、家族といつては其丈で、長男の定吉は、年こそまだ十七であるけれども、身体から働振から、もう立派に一人《ひとり》前の若者である。
 お定は今年十九であつた。七八年も前までは、十九にもなつて独身《ひとりみ》でゐると、余《あま》され者だと言つて人に笑はれたものであるが、此頃では此村でも十五十六の嫁といふものは滅多になく、大抵は十八十九、隣家《となり》の松太郎の姉などは二十一になつて未だ何処にも縁づかずにゐる。お定は、打見には一歳《ひとつ》も二歳《ふたつ》も若く見える方で、背恰好の※[#「女+亭」、第3水準1−15−85]乎《すらり》としたさまは、農家の娘に珍らしい位、丸顔に黒味勝の眼が大きく、鼻は高くないが、笑窪が深い。美しい顔立《かほだて》ではないけれど、愛嬌に富んで、色が白く、漆の様な髪の生際《はえぎは》の揃つた具合に、得も言へぬ艶《なまめ》かしさが見える。稚い時から極く穏《おとな》しい性質で、人に抗《さから》ふといふ事が一度もなく、口惜《くやし》い時には物蔭に隠れて泣くぐらゐなもの、年頃になつてからは、村で一番老人達の気に入つてるのが此お定で、「お定ツ子は穏《おとな》しくて可《え》え喃《なあ》。」と言はれる度、今も昔も顔を染めては、「俺《
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