入交り立交りする人の数は少くなく、潮《しほ》の様な虫の音も聞えぬ程、賑かな話声が、十一時過ぐるまでも戸外《そと》に洩れた。娘共は流石に、中には入りかねて、三四人店先に腰掛けてゐたが、其家の総領娘のお八重といふのが、座敷から時々出て来て、源助さんの話を低声《こごゑ》に取次した。
 源助さんは、もう四十位になつてゐるし、それに服装の立派なのが一際品格を上げて、挙動《ものごし》から話振から、昔よりは遙かに容体づいてゐた。随つて、其昔「お前《めえ》」とか「其方《そご》」とか呼び慣してゐた村の人達も、期せずして皆「お前様《めえさま》」と呼んだ。其夜の話では、源助は今度函館にゐる伯父が死んだのへ行つて来たので、汽車の帰途《かへり》の路すがら、奈何《どう》しても通抜《とほりぬけ》が出来なかつたから、突然ではあつたが、なつかしい此村を訪問したと云ふ事、今では東京に理髪店を開いてゐて、熟練《じゆくれん》な職人を四人も使つてるが、それでも手が足りぬ程|急《いそ》がしいといふ事であつた。
 此話が又、響を打つて直ぐに村中に伝はつた。
 理髪師といへば、余り上等な職業でない事は村の人達でも知つてゐる。然し東京
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