くも病人不具者でない限り、男といふ男は一同|泊掛《とまりがけ》で東嶽《ひがしだけ》に萩刈に行くので、娘共の心が訳もなくがつかりして、一年中の無聊を感ずるのは此時である。それも例年ならば、収穫後《とりいれご》の嫁取婿取の噂に、嫉妬《やきもち》交りの話の種は尽きぬのであるけれども、今年の様に作が悪くては、田畑が生命《いのち》の百姓村の悲さに、これぞと気の立つ話もない。其処へ源助さんが来た。
 突然《いきなり》四年振で来たといふ噂に驚いた人達は、更に其源助さんの服装《みなり》の立派なのに二度驚かされて了つた。万《よろづ》の知識の単純な人達には何色とも呼びかねる、茶がかつた灰色の中折帽は、此村で村長様とお医者様と、白井の若旦那の外冠る人がない。絵甲斐絹《ゑかひき》の裏をつけた羽織も、袷も、縞ではあるが絹布物《やはらかもの》で、角帯も立派、時計も立派。中にもお定の目を聳《そばだ》たしめたのは、づつしりと重い総革の旅行鞄であつた。
 宿にしたのは、以前《もと》一番懇意にした大工の兼さんの家であつたが、其夜は誰彼の区別なく其|家《うち》を見舞つたので、奥の六畳間に三分心の洋燈《ランプ》は暗かつたが、
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