山田理髪店」と書いてあつて、花の様なお菓子を飾つたお菓子屋と向ひあつてゐる。二人は右視左視《とみかうみ》して、此家忘れてはなるものかと見廻してると、理髪店《とこや》の店からは四人の職人が皆二人の方を見て笑つてゐた。二人は交代《かはるがはる》に振返つては、もう何間歩いたか胸で計算《かんじやう》しながら、二町許りで本郷館の前まで来た。
盛岡の肴町位だとお定の思つた菊坂町は、此処へ来て見ると宛然《まるで》田舎の様だ。あゝ東京の街! 右から左から、刻一刻に満干《さしひき》する人の潮《うしほ》! 三方から電車と人とが崩《なだ》れて来る三丁目の喧囂《けんかう》は、宛《さな》がら今にも戦が始りさうだ。お定はもう一歩も前に進みかねた。
勧工場は、小さいながらも盛岡にもある。お八重は本郷館に入つて見ないかと言出したが、お定は『此次にすべす。』と言つて渋つた。で、お八重は決しかねて立つてゐると、車夫《くるまや》が寄つて来て、頻《しき》りに促す。二人は怖ろしくなつて、もと来た路を駆け出した。此時も背後《うしろ》に笑声が聞えた。
第一日は恁《か》くて暮れた。
九
第二日目《ふつかめ》は、
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